しでじんじゃ
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志氐神社ではいただけません
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志氐神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年07月29日(月)
参拝:2024年7月吉日
三重県の寺社仏閣巡りの3箇所目は、1、2箇所目と同じく四日市市に在る志氐神社です。
(しでじんじゃと読める人はいないのでは?私はしていじんじゃと読むのだと思った。)
先の正法寺を出て家に帰る途中、正法寺から約800mの所に神社があり、由緒ある神社の様でしたし、時間はたっぷりありましたので、元々今回の予定には無かったのですが、折角なので参拝する事にしました。
祭神は、気吹戸主神(イブキドヌシノカミ)、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)。
また、明治時代後半に近隣に在った多数の神社を合祀しています。
垂仁天皇の時代(古墳時代)に創建とされる。大海人皇子(後の天武天皇)が壬申の乱の時、吉野から鈴鹿を経て桑名の頓宮への途中、迹太(とほ)川のほとりで伊勢神宮を遥拝され、その際「シデ」を垂らして禊祓いをされた事により、この地に「志氐」の名が起こり社名となったとの事です。
境内の左側(西側)に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。鳥居をくぐり少し行くと神馬舎、もう1つの鳥居をくぐると正面に拝殿、左手前に大きな四泥(しで)の御神木。
拝殿で手を合わせました。塀があるので本殿前には行けず、写真も塀の隙間から撮りました。拝殿の左側に志氐神社境内古墳、古墳に神社が在るのは余りないそうです。
社務所へ行って御朱印を頂きました。その際に神社案内を頂き、案内の表紙にふり仮名が付けてあって読みがわかった次第です。
それから、境内左側に在る妻恋稲荷神社も参拝。妻恋稲荷神社の本社は東京都文京区に鎮座する妻恋神社で、1853年に志氐神社の神主が妻恋神社の御分霊をお祀りした事が始まりで、昭和34年に志氐神社境内に遷座されたとの事です。
参拝後に駐車場に戻り、帰路に着きました。
(しでじんじゃと読める人はいないのでは?私はしていじんじゃと読むのだと思った。)
先の正法寺を出て家に帰る途中、正法寺から約800mの所に神社があり、由緒ある神社の様でしたし、時間はたっぷりありましたので、元々今回の予定には無かったのですが、折角なので参拝する事にしました。
祭神は、気吹戸主神(イブキドヌシノカミ)、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)。
また、明治時代後半に近隣に在った多数の神社を合祀しています。
垂仁天皇の時代(古墳時代)に創建とされる。大海人皇子(後の天武天皇)が壬申の乱の時、吉野から鈴鹿を経て桑名の頓宮への途中、迹太(とほ)川のほとりで伊勢神宮を遥拝され、その際「シデ」を垂らして禊祓いをされた事により、この地に「志氐」の名が起こり社名となったとの事です。
境内の左側(西側)に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。鳥居をくぐり少し行くと神馬舎、もう1つの鳥居をくぐると正面に拝殿、左手前に大きな四泥(しで)の御神木。
拝殿で手を合わせました。塀があるので本殿前には行けず、写真も塀の隙間から撮りました。拝殿の左側に志氐神社境内古墳、古墳に神社が在るのは余りないそうです。
社務所へ行って御朱印を頂きました。その際に神社案内を頂き、案内の表紙にふり仮名が付けてあって読みがわかった次第です。
それから、境内左側に在る妻恋稲荷神社も参拝。妻恋稲荷神社の本社は東京都文京区に鎮座する妻恋神社で、1853年に志氐神社の神主が妻恋神社の御分霊をお祀りした事が始まりで、昭和34年に志氐神社境内に遷座されたとの事です。
参拝後に駐車場に戻り、帰路に着きました。
すてき
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nomuten969投稿
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