北小松公会堂(海徳山光宅寺旧跡)のお参りの記録一覧
小松神社の道を挟んで向かい側にあります。お寺の様な建物なのに「北小松公会堂」となっています。不思議に思い中を覗いてみると「海徳山光宅寺旧跡」と書かれ仏様が祀られていたのでお参りさせて頂きました。
気になったので光宅寺を調べてみました。
地域のホームページに以下のように載っていました。
真宗高田派の中興上人と仰がれている真慧上人は、野州の本寺(現在 も栃木県芳賀郡二宮町高田にある)から、寺基を伊勢の国一身田に移 されるまでの間、この地に七堂伽藍を建てて、北勢地方の民衆を教化 された。この辺一帯を「中山」(なかやま)と言い、歯骨堂(しこと)(納骨 堂)風呂屋の谷(浴場)、塔頭、坊舎、家中屋敷などが地名として残 っている。南小松の中山寺はこの地名に由来する。
この地は古くから醍醐天皇勅願所で海徳山光宅寺という古刹があり、本尊は石仏の薬師如来で「お薬師さん」として尊崇されてきた。その西部の丘陵地はお茶山と呼ばれ、眼下に内部川の清流を眺 める景勝の地あった。 この東方(小松神社裏)に月見亭がありました。毎年九月十五夜には 月見の宴を催されたことから、中山寺の山号月見山の由来となってる。
昭和 四十九年の集中豪雨で崩れたため、防災上、土取り工事が行なわれ、 その跡は消失してしまyっているが、旧跡の古い図面では、当時の境内は南西六十五間、南北三十五間ばか りとあり、総面積二二七五坪と記録されている。
旧跡地は「真慧上人御旧跡」と記した碑だけで、今は畑になっており、また西方には古墳群がいくつか残っている。
大きなお寺だったようです。
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