おいたじんじゃ
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意非多神社の編集履歴
2020年11月02日 20時27分
ご由緒
当社は別名「楯築大明神」「立付大明神」「牟礼神社」とも呼ばれる。 社伝によると元明天皇の御代、和銅年間に神八井耳命の後裔の多姓の人が「大板の里」を開拓、その子孫を移住させ、産業を大いに奨励、推進させて、土地・人民の繁栄を祈るべく、大御食の神、伊毘志都幣命を奉斎したのを創祀とする。
『延喜式神名帳』の飯野郡四座の中の第一座に「意非多神社」が記載されているが、当社のことと考えられる。また、当地ゆかりの戦国の諸将(蒲生・古田・服部)や紀伊大納言家等が当社を篤く信仰したことが今に伝えられている。
明治40年6月から同41年5月にかけて、当社境内社の稲荷神社(豊受姫命)ほか11社を合祀し現在に至っている。現在の社地に定められたのは、寛治元年(1087)のことで、旧地を改めたのは櫛田川西岸堤の決壊による洪水のため社殿が流失したことによるという。
ご祭神/ご本尊
《主》伊毘志都幣命,豊受比賣命,事代主命《相》市杵島姫命,大山咋命,猿田彦命,天目一命,天津日子根神,大山祇神,少彦名神,須佐之男命
編集前:《主》天照大神,猿田彦命,天目一命,天津日子根神,大山祇神,少彦名神,須佐之男命
参拝時間
24時間参拝可能
トイレ
あり
参拝所要時間
10分
参拝料
なし
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