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存仁寺ではいただけません
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存仁寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月01日(金)
参拝:2024年10月吉日
所用で近くに行ったので寄らせていただきました。
旧伊勢別街道の椋本宿には街道沿いに幾つかのお寺が集まっているうちの一つです。
開基は文永元年 (1264)とされています。
文暦元年 (1234)親鸞聖人が伊賀へ向かう途中、この地で道に迷った時に蓑屋神社(現:椋本神社)の祭神が道案内を買って出られたそうです。
その光景を見た村人は親鸞聖人をよほどのお方だと察し、法談を聴して念仏の暮らしをはじめた者たちが道場を擁し、親鸞聖人の絵像のもと念仏に勤めました。
「存仁」という寺号は、寺の前進の道場が智積(四日市市)にあり、そこへ蓮如上人が立ち寄られた折際に「仁を存する寺なり」と直筆の”六字名号”(当寺に所蔵)とともに寺号を賜ったとされるものと、「法喜山存仁寺開基及び山田姓系統伝」によれば、先記、智積の西勝寺教尊の四男”教味”により椋本に建立され、蓮如上人に”六字名号”とともに「存仁」という寺号を賜ったとされています。
旧伊勢別街道の椋本宿には街道沿いに幾つかのお寺が集まっているうちの一つです。
開基は文永元年 (1264)とされています。
文暦元年 (1234)親鸞聖人が伊賀へ向かう途中、この地で道に迷った時に蓑屋神社(現:椋本神社)の祭神が道案内を買って出られたそうです。
その光景を見た村人は親鸞聖人をよほどのお方だと察し、法談を聴して念仏の暮らしをはじめた者たちが道場を擁し、親鸞聖人の絵像のもと念仏に勤めました。
「存仁」という寺号は、寺の前進の道場が智積(四日市市)にあり、そこへ蓮如上人が立ち寄られた折際に「仁を存する寺なり」と直筆の”六字名号”(当寺に所蔵)とともに寺号を賜ったとされるものと、「法喜山存仁寺開基及び山田姓系統伝」によれば、先記、智積の西勝寺教尊の四男”教味”により椋本に建立され、蓮如上人に”六字名号”とともに「存仁」という寺号を賜ったとされています。
すてき
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ゆきち1815投稿
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