うめだじんじゃ
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楽しみ方梅田神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年10月04日(土) 18時10分32秒
参拝:2025年9月吉日
京都府亀岡市にある神社です。
旭町宮ノ元という集落(?)にあります。
こちらもこんもりとした社の中に鎮座されています。
鳥居をくぐると木の枝が参道の上に まるで鳥居のように伸びています。
太い枝で 鉄の支えがあり 本当に鳥居のようです。
これはムロノキという木の枝で これだけの大木は珍しいということで 亀岡の名木に指定されています。
ムロノキの鳥居をくぐると正面に拝殿があります。
拝殿(?)と思いました。
それは正方形の砂利場の上に建っているからです。
基礎はコンクリですが 遠くから見ると土俵のようにも見えます。
迂回して進むと本殿です。
朱色の玉垣に囲まれ なかなかに立派な造りです。
本殿は横から見ると屋根が「へ」の字のようになっています。
確か上賀茂神社にお詣りした際に教えていただきました。この「へ」の屋根。
切妻屋根だったかなぁ。詳しいことは忘れちゃいました。(恥)
(まだまだ勉強不足です)
こちらでご挨拶して 本殿両サイドにある境内社2つにもご挨拶。
この境内社には御祭神の札(?)がなく どなたか分かりませんでした。
境内には由緒書がありました。
当社は祭神に天児屋根命(あめのこやねのみこと)をまつり 和銅二年(七〇九)の創建と伝える。
室町時代には 丹波守護細川氏の崇敬があつく 細川勝元は宝徳二年(一四五〇)に神領地を寄進し 境内地とともに赦免地にしたという。
社伝は一間社流造 檜皮葺の建物で 建武五年(一三三八)に造営された。
長禄三年(一四五九)の修理を始め 当社には葺替等の修理に関する棟札が多く伝わり 社伝にかける人々のあつい想いがしのばれる。
境内には大変珍しい榁の古木がある。
また 社伝横の宝篋印塔は 「イボの神様」として信仰され 宝篋印塔のくぼみに米粒を供え そこでできた米の汁をイボにつけると不思議とイボがとれるという。
と書かれていました。
この時は気づかなかったのですが 別の場所にも境内社があるようです。
大黒社と薬師堂とイボ神様が祀られているようです。
ネット情報です。
社伝では 和銅2年(709年)に創建されたという。
建武5年(1338年)には 執権北条高時が家臣に命じて社殿を造営したとされる。
その後長禄3年(1459年)に再構されたという。
天正年間(1573年-1592年)には明智光秀による丹波侵攻で社地が衰亡したが 社殿は兵火を免れたと伝える。
摂末社は弁財天社・事代主社・大黒社
旭町宮ノ元という集落(?)にあります。
こちらもこんもりとした社の中に鎮座されています。
鳥居をくぐると木の枝が参道の上に まるで鳥居のように伸びています。
太い枝で 鉄の支えがあり 本当に鳥居のようです。
これはムロノキという木の枝で これだけの大木は珍しいということで 亀岡の名木に指定されています。
ムロノキの鳥居をくぐると正面に拝殿があります。
拝殿(?)と思いました。
それは正方形の砂利場の上に建っているからです。
基礎はコンクリですが 遠くから見ると土俵のようにも見えます。
迂回して進むと本殿です。
朱色の玉垣に囲まれ なかなかに立派な造りです。
本殿は横から見ると屋根が「へ」の字のようになっています。
確か上賀茂神社にお詣りした際に教えていただきました。この「へ」の屋根。
切妻屋根だったかなぁ。詳しいことは忘れちゃいました。(恥)
(まだまだ勉強不足です)
こちらでご挨拶して 本殿両サイドにある境内社2つにもご挨拶。
この境内社には御祭神の札(?)がなく どなたか分かりませんでした。
境内には由緒書がありました。
当社は祭神に天児屋根命(あめのこやねのみこと)をまつり 和銅二年(七〇九)の創建と伝える。
室町時代には 丹波守護細川氏の崇敬があつく 細川勝元は宝徳二年(一四五〇)に神領地を寄進し 境内地とともに赦免地にしたという。
社伝は一間社流造 檜皮葺の建物で 建武五年(一三三八)に造営された。
長禄三年(一四五九)の修理を始め 当社には葺替等の修理に関する棟札が多く伝わり 社伝にかける人々のあつい想いがしのばれる。
境内には大変珍しい榁の古木がある。
また 社伝横の宝篋印塔は 「イボの神様」として信仰され 宝篋印塔のくぼみに米粒を供え そこでできた米の汁をイボにつけると不思議とイボがとれるという。
と書かれていました。
この時は気づかなかったのですが 別の場所にも境内社があるようです。
大黒社と薬師堂とイボ神様が祀られているようです。
ネット情報です。
社伝では 和銅2年(709年)に創建されたという。
建武5年(1338年)には 執権北条高時が家臣に命じて社殿を造営したとされる。
その後長禄3年(1459年)に再構されたという。
天正年間(1573年-1592年)には明智光秀による丹波侵攻で社地が衰亡したが 社殿は兵火を免れたと伝える。
摂末社は弁財天社・事代主社・大黒社

正面石鳥居

鳥居の扁額

重要文化財指定

本殿に進むには木の枝をくぐります

ムロノキの珍しい大木だそうです

由緒書

拝殿

本殿

本殿

本殿横から

本殿右の境内社

本殿左の境内社

拝殿→ムロノキの枝の鳥居→石鳥居 の並びで撮ってみました

これも由緒書

ケヤキの大木

ケヤキも名木でした
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん3019投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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