しのむらはちまんぐう
篠村八幡宮のお参りの記録一覧
足利尊氏旗あげの地の石碑が境内にあります、元弘3年(1333)4月29日、足利尊氏公が社前に必勝の願文(現存)を奉じて尊王討幕の旗揚げをしたことで知られる。ツブラジイの御神木 幹回り約5メートルの巨樹です境内近くには、旗立楊もあります、
御由緒書きより
平安京遷都以来平安京の4隅と、平安京に通じる主要6街道の国境に10箇所の勅願の厄除祈願祭執行場所が設けられ、平安京への悪霊・怨霊・疫病の侵入を防ぐ祭典が執り行われていた。後に、祠を設けて、常に厄神・疫神から都を守護するようになった。
都周辺の10箇所の1つが995年創建の今宮神社であり、同時期の石清水八幡宮の疫神堂とともに、篠村八幡宮乾疫神社も同時期のものとされる延久3年(1071)、後三條天皇の勅願により源頼義公が応神天皇陵を守護する誉田八幡宮(大阪府羽曳野市)から勧請して八幡宮を創建した・・・太古からの信仰の地、乾疫神社の所在地を選択。神社の維持運営に充てるため、延久4年に頼義公は篠村荘を神社に寄進している
放生会は、毎年敬老の日の前日に行われます。日常人間が殺生している魚や鳥を供養するため、放生池で放してやるという行事から名づけられた。露店も並びにぎわう。
仲良しの姪達を連れて車で行って参りました。花より団子でよく食うこと!そんなに食ったら太るぞ。
例祭の後、境内にて終日奉納相撲がある。これを見て姪は痛そうだから出たくないと言いました。残念です。
私の目指す教育は、何でも自分のやりたい事を見つけて一生懸命やりなさい、と言うことです。私がそんな生き方をしてきたから、そして、その事に誇りを持っているからであります。
彼女が相撲をしたくないのは仕方ない。なんか好きなものを続けて誇りを持てるよう努力して欲しいものです。
延久3年(1071年)源頼義が勅宣により誉田八幡宮から勧請したと伝わる。
足利尊氏が挙兵した地として知られ、境内には「矢塚」や「旗揚げの地碑」などがあります。
樹齢600年以上の椎の大木が矢塚の上にあったが、1934年の室戸台風で倒木してしまった。
社務所
拝殿
稲荷神社
稲荷神社
矢塚
足利高氏旗揚げの地碑
※後に尊氏に改名した
乾疫神社
小宮社四社
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