おばたじんじゃ
小幡神社のお参りの記録一覧
穴太寺近くにある神社です。
犬飼川沿いにあります。
細い道を少し下って会館前に車を停めるスペースがあります。
こんもりとした林があるように見えるのが境内です。
ご祭神は開化天皇(かいかてんのう)で、配祀は彦坐王(ひこいますのおう=開化天皇の皇子)、小俣王(こまたのおう=開化天皇の孫)です。
境内は地域の氏子によってきれいに整備されており ゴミ一つ落ちていませんでした。
名前を知らないのですが 五角柱の石柱があり それぞれの面に
五穀祖神 倉稲魂命
農業祖神 天照太神
土御祖神 埴安媛命
護国護神 小彦名命
五穀守神 大巳貴命
と書かれていました。
詳細は不明ですが 末社・摂社(この違いがよく分からない)が4社ありました。
稲荷神社もありました。
社務所はまるで自治会館のような立派な建物でした。
由緒については
当社は 崇神天皇の命により派遣された四道将軍のひとり 丹波地域を治めた丹波道主命が 皇祖開化天皇を主神として祀ったことに始まるといわれ 開化天皇の御子の彦坐王と その御子小俣王の三代を奉斎しています。
また社伝等によると 和銅元年(708)に丹波国司大神朝臣狛麻呂が霊域に社殿を建立され 延長5年(927)に編纂された『延喜式』「神名帳」にも記載された古社です。
社殿の棟札によると 文和元年(1442)には管領細川政元の本殿造営とその後明応元年(1492)を始めとする修造 屋根の葺替えが行われています。
現在の社殿は天和3年(1683)に造立された一間社流造 檜皮葺の建物です。
亀岡市内で妻に二重虹梁大瓶束を用いた早い事例であり 京都府の登録文化財となっています。
また 社宝として全国に三幅といわれる円山応挙の絵馬の一つが保存されています。
境内由緒書きより
入り口
鳥居
由緒書
これは絵馬殿か?拝殿にも見える
拝殿
本殿
末社
末社
末社
末社?
稲荷神社
石柱 5面
社務所?自治会館?
2023年春の青春18きっぷ 旅。2日目4社目。
金剛寺(応挙寺)からすぐそばのこちらへ。
金剛寺から向かうと結構な広さの駐車場があります。そちらの通りから境内にはいると拝殿があります。
鳥居は府道407号線の側道を下るとあります。
いったん鳥居まで行ってから参拝。
木々に囲まれて拝殿。拝殿の奥の数段ある階段の上に社殿。階段手前、境内左右に境内社がいくつかあります。
鳥居と拝殿の間の参道の左右に建物があり、どちらに社務所があるのか分かりませんでしまが、ホトカミの投稿を見て鳥居から向かって右が社務所ということが判明。
インターホン押すと中から女性の方に出てきていただき、直書御朱印を拝受。
建物内の玄関の土間が広くベンチもあります。
鳥居
由緒書
手水舎:水道蛇口をひねるタイプ
愛宕社
祖霊社・百太夫社
社務所:鳥居⛩から本殿へ向かって右です。
丹波国桑田郡の式内社です。丹波国は山城国から鴨川を北上してきた秦氏と、大国主命さまの国造り伝承とともに語られる出雲族、そして開化天皇さまの命によりやってきた四道将軍の丹波道主命さまの3組の開拓伝承があります。当社は丹波道主命さまが開拓のために開化天皇さまを祀って創建されました。
《鳥居と社号碑》
すぐ側に川が流れており、入り口近くが高台に橋がかかっているため入口が少し降り宮のようになっています。
《由緒書き》
開化天皇さまを主祭神で祀っているのは当社のみと思われます。
あと丹波国の式内社は和銅年間に創建されたものが多いですね。鍬山神社や走田神社なんかはそうでした。
《社務所》
御朱印いただけました🙏
《手水舎》
蛇口式で捻ると水が出ます。
《末社・愛宕社》
元愛宕がありますからね。
《外拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
この神社もそうですし、丹後国の方にある式内社の伝承を見ても、丹波道主命さまの丹波丹後平定はかなり難航したようで、けっこう神社を建てて開拓、戦勝祈願をしています。この神社もその一つと思われます。
《鬼瓦?》
馬の写真があるということは絵馬殿?
《地神塚》
江戸時代に流行った社日講の信仰する神名を刻んだお塚です。瀬戸内に多く見られますが、丹波丹後にもたまに見つかります。
《末社・遷之宮》
お地蔵さんが沢山…どういう神様なのでしょう?
《末社・稲荷社》
いつもお世話になっており(🤛
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