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瑞厳寺ではいただけません
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瑞厳寺のお参りの記録(1回目)
京都府並河駅

投稿日:2024年12月13日(金)
参拝:2024年11月吉日
京都府亀岡市にあるお寺です。
稗田野町の奥にあります。集落から少し外れた山の入口です。
由緒書の碑がありました。
ご丁寧に書き起こした方がいらっしゃったので借稿します。
当山は臨済宗東福寺派に属し 山号は龍峰山と言う。
開山は大通和尚で東福寺の春嶽令喜の法を受け 虎関師鍊五世の法孫にあたる。
伊勢の朝熊山で虚空蔵菩薩のお告げを受けて娑婆山(後の山)に登り 寺を開創した。
時に享徳元年(一四五二)であった。
延徳元年(一四八九)開山遷化の後 華隠・学翁より彭叔・文坡と台を重ね 寺境も整い 雲衲の集う道場となったが 天正二年(一五七四)明智光秀の亀山城築城に際し当時の方丈を移築して城中の広間にしたと言い 慶長元年(一五九六)の地震で堂宇は全壊した。
これに依り雲衲の四散するなか 文虎一人残って復興に尽くすが 瑞賀なき後 衰微する。
寛永十三年(一六三六)曹洞宗の僧 萬安英種が来山し 一時曹洞宗として栄えたが 萬安が宇治の興聖寺に退くに及んで 又主催者を欠く事となる。
明暦二年(一六五六)東福寺の僧 見叟智徹が復興し 中興第一世となる。
後 弦外智逢・幹山師貞と学僧相継ぎ 臨済録瑞巖抄・元亨釈書便家・圜悟心要添足 等々の著書も残されている。
昭和三十五年(一九六〇)大梅山法常寺末の唯心庵のあった現在地に総合移転した。
これに就いては中興十二世則道・同十三世宏衟両和尚のの尽力もさる事乍ら 檀越諸家の深い理解と協力あっての事である。
この現在地より裏山を登る事一三〇〇米の山頂近く旧蹟は 開創以来五百年に亘って法燈を護って着た瑞巖寺を彷彿とさせるものがある。
瑞巖寺の裏山には瑞巖寺跡があり 元は山の上にあったお寺だと分かりました。
墓所に駐車スペースがあるのですが ちょうど車を停めた時に親子の鹿がいました。
つぶらな瞳でこちらをじっと見つめ 5秒ほど立ち止まっていたのでスマホを向けようとしたところ あっという間に走り去っていきました。残念。
瑞厳寺(京都府)
前庭というのかな きれいです
瑞厳寺(京都府)
由緒碑
瑞厳寺(京都府)
山門
瑞厳寺(京都府)
本堂
瑞厳寺(京都府)
鐘楼
瑞厳寺(京都府)
手水
瑞厳寺(京都府)
瑞厳寺(京都府)
こちらに親子の鹿がいました

すてき

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