おおいじんじゃ
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大井神社ではいただけません
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大井神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2020年08月06日(木)
参拝:2020年8月吉日
嵐山の渡月橋近くにひっそりと立つ大井神社。松尾大社創建で山城国トップの豪族、秦氏が桂川の治水のために祀ったとされています。もうぱっと見はどこにあるのかわからない、自己主張の控えめな神社ですね🤔
《一の鳥居と社号標》
社名は桂川の旧名"大堰川(おおいがわ)"に由来します。渡月橋にも書かれていますね🌊
社名は桂川の旧名"大堰川(おおいがわ)"に由来します。渡月橋にも書かれていますね🌊
《表参道》
《駐輪場》
《由緒書き》
👁チェックポイント‼️
この由緒書きには延喜式内社とかかれていますが、『延喜式』神名帳記載の大井神社は乙訓郡鎮座として書かれています。当然、当社は松尾大社と同じく葛野郡であるため、一般的には論社とされています。
👁チェックポイント‼️
この由緒書きには延喜式内社とかかれていますが、『延喜式』神名帳記載の大井神社は乙訓郡鎮座として書かれています。当然、当社は松尾大社と同じく葛野郡であるため、一般的には論社とされています。
《社殿と鳥居》
また、他の論社には綾戸国中神社の綾戸社がかつて"大井社"として大堰川の祓神として祀られていたとされています。大堰川の沿岸にあった点は共通していることから無関係ではないでしょう。
このことから、私は秦氏が嵐山を開拓した際、大堰川の治水のために乙訓郡の大井神社を勧請し、後世に元宮が廃れて国中神社に合祀され、分社である当社が残ったのではないかと考えています。
また、他の論社には綾戸国中神社の綾戸社がかつて"大井社"として大堰川の祓神として祀られていたとされています。大堰川の沿岸にあった点は共通していることから無関係ではないでしょう。
このことから、私は秦氏が嵐山を開拓した際、大堰川の治水のために乙訓郡の大井神社を勧請し、後世に元宮が廃れて国中神社に合祀され、分社である当社が残ったのではないかと考えています。
《本殿》
野宮神社の旧本殿を譲り受けて改修されています。
…なんか時空歪んでね?
野宮神社の旧本殿を譲り受けて改修されています。
…なんか時空歪んでね?
《末社》
《桂川》
今の京都の川は地形的に氾濫が起きにくいらしいですが、昔は暴れ川だったのかもしれませんね。
今の京都の川は地形的に氾濫が起きにくいらしいですが、昔は暴れ川だったのかもしれませんね。
すてき
投稿者のプロフィール
神祇伯1458投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(11/3更新)
御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。
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