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松尾大社ではいただけません
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松尾大社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月27日(月)
参拝:2020年12月吉日
松尾大社は、京都府京都市西京区嵐山宮町にある神社。式内社(名神大)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は大山咋神、中津島姫命。松尾山を神体山とする。本殿、木造神像3躯が国指定の重要文化財。
創建は不詳。元来は松尾山(標高223m)の磐座での祭祀に始まるとされ、飛鳥時代の701年に文武天皇の勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたとされる。その後も秦氏の氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置付けられた。国史では866年に神階が正一位勲二等まで昇叙した記載があり、その後正一位勲一等の極位に達している。927年に編纂された『延喜式神名帳』には「山城国 葛野郡 松尾神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗」と記載されている。『二十二社註式』によると平安中期に二十二社の一つとして上七社の4番目に列している。1004年の一条天皇の参拝を始めとして、その後の多くの天皇が何度も参拝し、神宝奉納や祈願があったと国史に記載されている。古くから社領の寄進が多く中世に荘園化し、為政者が変わるたび範囲が変動したが、江戸時代には徳川幕府から1078石の朱印地が安堵された。また中世以降、「酒の神」としても信仰され、醸造家からの信仰は現在でも続いている。明治時代になると、近代社格制度の下、官幣大社に列格した。
当社は、阪急嵐山線・松尾大社駅の西方200mの小山の縁にある。駅から府道29号線を渡るとすぐに大きな鳥居があり、そこから大社の雰囲気が出ている。境内は広々としており、社殿は大きく立派で境内社など見どころも多い。
今回は、式内社、二十二社(上七社)、旧官幣大社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、観光客もいた感じだが、ちょっと遅めの七五三の家族連れも多くいて、むしろ地元の人々の方が多い感じに見えた。
創建は不詳。元来は松尾山(標高223m)の磐座での祭祀に始まるとされ、飛鳥時代の701年に文武天皇の勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたとされる。その後も秦氏の氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置付けられた。国史では866年に神階が正一位勲二等まで昇叙した記載があり、その後正一位勲一等の極位に達している。927年に編纂された『延喜式神名帳』には「山城国 葛野郡 松尾神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗」と記載されている。『二十二社註式』によると平安中期に二十二社の一つとして上七社の4番目に列している。1004年の一条天皇の参拝を始めとして、その後の多くの天皇が何度も参拝し、神宝奉納や祈願があったと国史に記載されている。古くから社領の寄進が多く中世に荘園化し、為政者が変わるたび範囲が変動したが、江戸時代には徳川幕府から1078石の朱印地が安堵された。また中世以降、「酒の神」としても信仰され、醸造家からの信仰は現在でも続いている。明治時代になると、近代社格制度の下、官幣大社に列格した。
当社は、阪急嵐山線・松尾大社駅の西方200mの小山の縁にある。駅から府道29号線を渡るとすぐに大きな鳥居があり、そこから大社の雰囲気が出ている。境内は広々としており、社殿は大きく立派で境内社など見どころも多い。
今回は、式内社、二十二社(上七社)、旧官幣大社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、観光客もいた感じだが、ちょっと遅めの七五三の家族連れも多くいて、むしろ地元の人々の方が多い感じに見えた。
松尾大社駅前にある<大鳥居>と<社号標>。
大鳥居から西に100mほど進むと、突き当りにある<赤鳥居>。
鳥居をくぐって境内全景。境内に入る前から広々としている。
境内入口の<楼門>。(境内図によると、隋神門ではなく楼門と呼ぶみたい)江戸時代前期の1667年建立。桁行三間、梁間二間の三間一戸楼門。入母屋造、檜皮葺。高さは11mある。
楼門手前、左側の<狛犬>。
楼門手前、右側の<狛犬>。
楼門をくぐってすぐ右側にある<手水舎>。
楼門をくぐると、いきなり正面に建物が現れる。巨大な絵馬が置いてあり、神楽殿かと思ったが、実はこちらが<拝殿>。
<拝殿>全景。入母屋造、檜皮葺。四面に壁が一切ない。大祓式など各種神事で使用されるらしい。
拝殿後方の建物全景。最奥の<本殿>には向拝を接して<釣殿>が接続、釣殿の東に接して<回廊>が南北に伸びている。回廊には3つの門があり、中央の本殿正面に<中門>、北に<北清門>、南に<南清門>がある。
回廊南側手前、屋根付きの建物で守られているのは<相生の松>。
庇が長く伸びた<中門>。
中門の奥が<釣殿>。
参拝場所から振り向くと、<拝殿>の裏側。
境内北側の<参集殿>の前ある<亀と鯉>。亀と鯉は松尾大社の神の使い。
回廊後方への入口付近にある<祓戸大神>。
北末社3社のうちの<三宮社>(左)と<四大神社(しのおおかみのやしろ)>(右)。
境内最奥、山ぎわにある北末社の<瀧御前(たきごぜん)>。後方の滝は<霊亀の滝>。
拝殿後ろの<本殿>は、室町時代の1397年再建、1542年改修。桁行三間、梁間四間、一重、檜皮葺。側面から見ると屋根が前後同じ長さに流れる「両流造」、「松尾造」と称される独特なもの。国指定の重要文化財。
境内北西部には松風苑三庭庭園のうちの2つ、上古の庭と曲水の庭、重文の神像を展示する神像館がある。こちらは有料拝観。時間がなくパス...
南末社4社のうちの<一挙社(いっきょしゃ)>(左)と<衣手社(ころもでしゃ)>(右)。
南末社4社のうちの<祖霊社>(左)と<金刀比羅社>(右)。
境内南側にある<神輿庫>。神輿庫には見えない...(^_^;)
神輿庫前には大量の奉納樽と杉玉が。(^▽^)/
境内南端にある<伊勢神宮遙拝所>。
拝殿と神輿庫の間、東側にある<授与所>。御朱印はこちら。
これから帰途に就く。楼門と境内の間を流れる水路。水が澄んでいてきれい。
楼門から右斜め前を見ると<お酒の資料館>(右建物)がある。
<お酒の資料館>の内部。酒好きには面白い。
楼門から左斜め前を見ると、そば・甘味処<団ぷ鈴>がある。開店時間は10:30で、現在時刻は10:30。これは奇遇かな。。。
というわけで「とろろそば」。(o^―^o)
ただの門前そば屋だと思っていたが、食べ終わる頃にはほぼ満席に近い感じに。地元の方々も食べに来ているみたい。確かに、蕎麦として純粋に美味。おススメ!
ただの門前そば屋だと思っていたが、食べ終わる頃にはほぼ満席に近い感じに。地元の方々も食べに来ているみたい。確かに、蕎麦として純粋に美味。おススメ!
最後にふたたび<楼門>。七五三の家族連れも多く、観光っぽい参拝者と入り乱れてとても賑わっていた。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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