せきざんぜんいん
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赤山禅院ではいただけません
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赤山禅院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月10日(火)
参拝:2024年11月吉日
【赤山禅院(せきざんぜんいん)】
本尊:泰山府君(赤山大明神)
宗派:天台宗
開基:安慧(あんえ)
赤山禅院は、京都府京都市左京区修学院に位置します。延暦寺の別院の一つ。赤山禅院は、平安時代の888(仁和4)年、第三天台座主 円仁の遺命によって、第四天台座主 安慧が創建したとされます。円仁の入滅から20余年後のこと。本尊の赤山大明神は、唐の赤山にあった泰山府君(たいざんふくん)を勧請したものです。唐に渡った慈覚大師円仁(794-864)が日本へもどるとき、何度も遭難しそうになり、そのとき、船のへさきに赤い衣を着て白羽の矢を負った赤山明神があらわれ守護したと伝わります。
京都御所から見て表鬼門の方角(北東)に当たるため、方除けの神として信仰を集めてきました。七福神巡りの発祥とされる都七福神。福禄寿の寺として知られています。
赤山禅院は、拝観料金が必要ありませんでした。紅葉と桜が楽しめて得した気分でした。
本尊:泰山府君(赤山大明神)
宗派:天台宗
開基:安慧(あんえ)
赤山禅院は、京都府京都市左京区修学院に位置します。延暦寺の別院の一つ。赤山禅院は、平安時代の888(仁和4)年、第三天台座主 円仁の遺命によって、第四天台座主 安慧が創建したとされます。円仁の入滅から20余年後のこと。本尊の赤山大明神は、唐の赤山にあった泰山府君(たいざんふくん)を勧請したものです。唐に渡った慈覚大師円仁(794-864)が日本へもどるとき、何度も遭難しそうになり、そのとき、船のへさきに赤い衣を着て白羽の矢を負った赤山明神があらわれ守護したと伝わります。
京都御所から見て表鬼門の方角(北東)に当たるため、方除けの神として信仰を集めてきました。七福神巡りの発祥とされる都七福神。福禄寿の寺として知られています。
赤山禅院は、拝観料金が必要ありませんでした。紅葉と桜が楽しめて得した気分でした。
【山門】
【参道 都七福神の幟】
【拝殿】
【鬼門除けの猿】
猿(申)は、鬼門とは反対の方角である西南西を指すことから、邪気を払う力があるとされます。金網の中にいるのは、かって夜になると暴れだし、いたずらを繰り返したため閉じこめたのだと言われています。
猿(申)は、鬼門とは反対の方角である西南西を指すことから、邪気を払う力があるとされます。金網の中にいるのは、かって夜になると暴れだし、いたずらを繰り返したため閉じこめたのだと言われています。
【手水舎】
【地蔵堂】
赤山大明神は、地蔵菩薩の化身であるとされます。
赤山大明神は、地蔵菩薩の化身であるとされます。
【寒桜】
【本殿】
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【本殿】
【十六羅漢像】
【弁財天】
出世弁財天。
出世弁財天。
【福禄寿殿】
【福禄寿殿 扁額】
【不動堂】
【御朱印】
すてき
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