ほうきょうじ
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宝鏡寺ではいただけません
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宝鏡寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年06月29日(土)
参拝:2024年6月吉日
慈受院門跡のお隣というか裏手にあります。
大きな山門は閉じられていたのですが 横の戸が開いていたので 失礼いたしまして境内に入らせていただきました。
正面にある建物はおそらく書院だと思うのですが もちろん入れませんし 右手にはおそらくお庭につながる門があるのですが こちらも閉じられていました。
左手には人形の碑がありました。こちらは人形で有名な寺院です。
山号は西山 宗旨は臨済宗単立 ご本尊は聖観音菩薩 創建年は応安年間(1368年‐1375年) 開山華林宮惠厳 別称は百々御所・人形寺です。
由緒については
尼五山第一位の景愛寺の第6世であった光厳天皇皇女の華林宮惠厳(かりんのみやえごん)が 応安年間(1368年 - 1375年)に御所で祀られていた伊勢国二見浦にて漁網に掛かって引き上げられた手に小さな円鏡を持った聖観世音菩薩を下賜され 景愛寺子院の建福寺に安置した。
惠厳は本尊の由緒から採られた「宝鏡寺」の名前を後光厳天皇より賜ると 寺名を改めたうえ新たな寺院として開山となった これが当寺の始まりである。
足利義満の時代 東側には小川と百々橋を挟んで 義満母の紀良子と義満実弟の満詮の別宅・小川殿があった。
応仁の乱の際には細川勝元の別宅となっており 戦禍から後土御門天皇 足利義政室の日野富子が避難しに来ている。
後に明応の政変で御殿は焼かれてしまい 跡地は宝鏡寺に取り込まれた。
とありました。
大きな山門は閉じられていたのですが 横の戸が開いていたので 失礼いたしまして境内に入らせていただきました。
正面にある建物はおそらく書院だと思うのですが もちろん入れませんし 右手にはおそらくお庭につながる門があるのですが こちらも閉じられていました。
左手には人形の碑がありました。こちらは人形で有名な寺院です。
山号は西山 宗旨は臨済宗単立 ご本尊は聖観音菩薩 創建年は応安年間(1368年‐1375年) 開山華林宮惠厳 別称は百々御所・人形寺です。
由緒については
尼五山第一位の景愛寺の第6世であった光厳天皇皇女の華林宮惠厳(かりんのみやえごん)が 応安年間(1368年 - 1375年)に御所で祀られていた伊勢国二見浦にて漁網に掛かって引き上げられた手に小さな円鏡を持った聖観世音菩薩を下賜され 景愛寺子院の建福寺に安置した。
惠厳は本尊の由緒から採られた「宝鏡寺」の名前を後光厳天皇より賜ると 寺名を改めたうえ新たな寺院として開山となった これが当寺の始まりである。
足利義満の時代 東側には小川と百々橋を挟んで 義満母の紀良子と義満実弟の満詮の別宅・小川殿があった。
応仁の乱の際には細川勝元の別宅となっており 戦禍から後土御門天皇 足利義政室の日野富子が避難しに来ている。
後に明応の政変で御殿は焼かれてしまい 跡地は宝鏡寺に取り込まれた。
とありました。
すてき
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