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こうしょうじ|臨済宗興聖寺派本山円通山

興聖寺の御由緒・歴史
京都府 鞍馬口駅

ご本尊釈迦如来
創建時代慶長八年(1603年)
開山・開基古田織部/虚応円耳(きいんえんに)
ご由緒

興聖寺は慶長八年(一六〇三年)に、虚応円耳(きいんえんに)という僧を開山として、古田織部により建てられました。

歴史
歴史[編集] 慶長8年(1603年)に妙満寺・日重上人の弟子である虚応円耳(姓は斎藤)が、法華(日蓮)宗の教えを広めるために東隣の大応寺(天正14年(1586年)に虚応が創建)から移って創建した。創建時は「興正寺」といった。現在、茶人・古田織部との関係がいわれているが、織部の妻セン(中川清秀妹)が隠棲した北野天満宮隣りの青霄院がセンの死後移転して同寺の塔頭となり、その後、豊後国岡藩の家老・古田家が織部と子らの墓を建てた関係で、昭和になってから「織部寺」と呼ばれるようになった。これは当時の住職・日種譲山の働きかけによるものである。織部は大徳寺住持・春屋宗園に参禅しており、日蓮宗の虚応に開基...Wikipediaで続きを読む
引用元情報興聖寺 (京都市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%88%88%E8%81%96%E5%AF%BA%20%28%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%29&oldid=100637864

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