だいおうじ
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大応寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年06月29日(土)
参拝:2024年6月吉日
京都市上京区散策の続きです。扇町公園の外れにあります。近くには水火天満宮もあります。
以前ここを通った時には気づきませんでした。
山門には柵があり 境内に入ってのお参りは叶いませんでした。
寺標に相国寺の文字があり 塔頭かなと思い 帰宅してから調べました。
境内は思っていたより広く お庭はとてもきれいでした。
大応寺は1586年(天正14年)虚応円耳(こおうえんに)が壇林皇后(だんりんこうごう)が建てた悲田院跡に一字を建立したのが起源と言われています。
当初は天台・真言・禅の兼学で延暦寺に属していました。
その後1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失したが 1808年(文化5年)以後に現在の堂宇が再建された。
なお悲田院は1646年(正保3年)永井直清が泉涌寺の山内に移して泉涌寺の塔頭になりました。
大応寺は臨済宗相国寺派の寺院です。
度々火災にあい 現在の建物は文化五年(一八〇八)以後の再建である。
本堂内には 本尊として釈迦如来 脇侍に迦葉・阿難を安置するほか 後花園天皇の念持仏という観世音菩薩像を祀る。
以前ここを通った時には気づきませんでした。
山門には柵があり 境内に入ってのお参りは叶いませんでした。
寺標に相国寺の文字があり 塔頭かなと思い 帰宅してから調べました。
境内は思っていたより広く お庭はとてもきれいでした。
大応寺は1586年(天正14年)虚応円耳(こおうえんに)が壇林皇后(だんりんこうごう)が建てた悲田院跡に一字を建立したのが起源と言われています。
当初は天台・真言・禅の兼学で延暦寺に属していました。
その後1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失したが 1808年(文化5年)以後に現在の堂宇が再建された。
なお悲田院は1646年(正保3年)永井直清が泉涌寺の山内に移して泉涌寺の塔頭になりました。
大応寺は臨済宗相国寺派の寺院です。
度々火災にあい 現在の建物は文化五年(一八〇八)以後の再建である。
本堂内には 本尊として釈迦如来 脇侍に迦葉・阿難を安置するほか 後花園天皇の念持仏という観世音菩薩像を祀る。
すてき
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