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宝滋院ではいただけません
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宝滋院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年07月09日(火)
参拝:2024年6月吉日
京都市上京区にある寺院です。相国寺のすぐ西側にあります。
山門に柵があり 境内に入ることは叶いませんでしたが とりあえず中の様子はうかがえます。
正面に土塀があり ぐるっと回ったところに東屋というか休憩所というか のんびりスペースがあります。奥には本堂らしき立派な建物が見えます。
これは境内に入ってお参りしたいものです。
宗旨は臨済宗 宗派は単立 ご本尊は阿弥陀如来です。
千代野御所とも称され 寺伝によると鎌倉時代に臨済宗の尼僧・無外如大(むげにょだい)が洛北松木嶋に資寿院を営み 樹下山資樹院(じゅげざんしじゅいん)と称したのが起源と言われています。
仁の乱の後 宝慈院と改められたようです。
その後 宝暦年間には皇女・王女・公卿の娘などが出家して 住持する比丘尼御所(びくにごしょ)に列せられ 1764年(明和元年)には摂政の命によって千代野御所の称が贈られ 紫衣も許されたと言われています。
これ以後当院の住持は 皇族あるいは公卿の女子と定まり 江戸時代には比丘尼(びくに)御所の一つとなりました。ということは門跡寺院の尼寺ということでしょうか。
収蔵庫に安置されている本尊阿弥陀如来像(重要文化財)は 寄木造丈六の坐像で景愛寺の旧仏といわれ 脇壇には仏光国師像と無外如大坐像(重要文化財)を安置されているそうなので これはぜひ拝顔したいものです。
特別拝観ないかなぁ。
山門に柵があり 境内に入ることは叶いませんでしたが とりあえず中の様子はうかがえます。
正面に土塀があり ぐるっと回ったところに東屋というか休憩所というか のんびりスペースがあります。奥には本堂らしき立派な建物が見えます。
これは境内に入ってお参りしたいものです。
宗旨は臨済宗 宗派は単立 ご本尊は阿弥陀如来です。
千代野御所とも称され 寺伝によると鎌倉時代に臨済宗の尼僧・無外如大(むげにょだい)が洛北松木嶋に資寿院を営み 樹下山資樹院(じゅげざんしじゅいん)と称したのが起源と言われています。
仁の乱の後 宝慈院と改められたようです。
その後 宝暦年間には皇女・王女・公卿の娘などが出家して 住持する比丘尼御所(びくにごしょ)に列せられ 1764年(明和元年)には摂政の命によって千代野御所の称が贈られ 紫衣も許されたと言われています。
これ以後当院の住持は 皇族あるいは公卿の女子と定まり 江戸時代には比丘尼(びくに)御所の一つとなりました。ということは門跡寺院の尼寺ということでしょうか。
収蔵庫に安置されている本尊阿弥陀如来像(重要文化財)は 寄木造丈六の坐像で景愛寺の旧仏といわれ 脇壇には仏光国師像と無外如大坐像(重要文化財)を安置されているそうなので これはぜひ拝顔したいものです。
特別拝観ないかなぁ。
すてき
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くるくるきよせん2024投稿
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