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2025年09月19日(金) 22時43分 bysoo_cyan

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 古くは江文山とも称した金毘羅山の頂上で朝日の一番早く当たるところに祀られていた神々を平安時代末期に山麓に社を建造し、鎮座願った。この神々は大原八郷の産土社で、倉稲魂命を主祭神とし、両脇殿に級長津彦命、軻宮突智命ほかを祀る。
 金毘羅山は古来神体山として崇められており、当社はその麓社として創祀されたと考えられる。「山州名跡志」(1711刊)によれば山頂に火壷・雨壷・風壷と称する自然の三穴があり、請雨の霊場であったという。また、神々が一箇所を一日ずつ交代で法華経を守護するとして比叡山で創始され、日蓮宗で盛行した三十番信仰において、江文神は八日目を守るものとされている。
 例祭は昭和三十年頃まで五月十五日に行われていたが、翌日に行われる境外摂社梅之宮神社の例祭を祝日にするため、五月四日に改められた。境内に八郷の人々が集まって行われる大原八朔踊は京都市登録無形民俗文化財で、毎年九月一日に近い土曜日に奉納される。