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じょうしょうこうじ|臨済宗天龍寺派大雄名山

常照皇寺の御由緒・歴史
京都府 鞍馬駅

ご本尊釈迦如来
ご由緒

常照皇寺とは「大雄名山万寿常照皇寺」の通称。以前は、常照寺と略称していた。
当寺は、南北朝期の北朝初代光厳上皇が1362年(北・貞治元年、南・正平十七年)頃開創。一説には天台宗系の成就寺という廃寺を改めたと伝えられている。
皇統譜による第102代後花園天皇が境内裏山万樹林や小塩田260石等を光厳上皇の香華料として献納。皇家檀家が力を合わせて護寺に努めてきた。
戦国期の1579(天正七)年、丹波の守、明智光秀の山国全焼戦による寺域全壊の後、江戸期の後水尾天皇の「ひねりごうし」のこぼれ話にあるように、志納などで漸次回復した。また、幕末・明治期の王政復古もあって、皇室経済は由緒寺院への下賜金を繰り返し、堂宇庭園を拡大したが、第二次世界大戦のあおりにより多くの寺田や寺の資産は亡失。その後、現在の姿に復元した。

歴史
歴史[編集] 常照皇寺の庭園 山国御陵 京都市北郊の山中に位置している。当寺の開山は南北朝時代に北朝初代の天皇となった光厳法皇である。光厳上皇は観応3年/正平7年(1352年)に、大和国賀名生にある南朝の後村上天皇行宮にて落飾(出家)して法皇となり、禅宗に帰依した。 帰京の後、貞治2年(1363年)ごろに丹波国山国庄を訪れると、同地にあった成就寺という天台宗の無住の寺に入り、これを改めて新たに開創したのが常照皇寺の始まりである。また、常照寺とも呼ばれていたようである。 光厳法皇は自ら庭園を作庭したほか、周辺の景色を庭に見立て、寺の裏山を猿帰嶂、滝を白玉泉、山全体を万樹林などと名付けて十勝...Wikipediaで続きを読む
引用元情報常照皇寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B8%B8%E7%85%A7%E7%9A%87%E5%AF%BA&oldid=98508562

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