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だいげんじしょうりんいん

大原寺勝林院のお参りの記録(1回目)
京都府鞍馬駅

投稿日:2025年09月17日(水) 18時36分58秒
参拝:2025年9月吉日
京都市左京区の寺院巡りの3寺目は、大原勝林院町に在る魚山 大原寺 勝林院です。
天台宗で、本尊は阿弥陀如来。
超有名な大原三千院の直ぐ北側にあります。
「大原問答」、「証拠の阿弥陀」」という言葉を耳にしたことがあると思いますが、それはこの勝林院での事です。

寺伝によれば、835年に慈覚大師・円仁により天台声明の根本道場として開かれた。1013年に円仁の9代目の弟子・寂源が再興し、勝林院と称した。1109年に良忍が来迎院を創建すると、勝林院を本堂とする下院と来迎院を本堂とする上院が成立し、この両院を以て「魚山大原寺」と総称されるようになった。
本尊は仏師・定朝の師(父?)である康尚の作であったと云われる。その後、本尊は火災・洪水による被災の度に補修された。1736年の火災後の修復では、頭部に、新たに造った体部を合わせたものとの事です。
現在、勝林院塔頭の宝泉院と実光院の住職が数年交代で勝林院住職を兼務されています。

車では入っていけないし、駐車場もありませんので、手前の民間駐車場に停めて向かいます。
平日ですがまあまあの人出(混んではいません)。半分くらいは外国人観光客の様です。
三千院、実光院、後鳥羽天皇・順徳天皇 大原陵の前を通り、少し坂を下った突き当たりに勝林院。山門がないので境内は良く見えます。入って直ぐに拝観受付がありますので拝観料(300円)を納めて御朱印をお願いしました。
正面に本堂(市指定文化財)。右側に鐘楼(市指定文化財)で、ぶら下がっている梵鐘は重文。
本堂に上がらせて頂きます。丈六の阿弥陀如来坐像、大きいです。高さは約2.8mあります。それにしても独特感があります。体に対して頭が大きくてややアンバランス、目は細く、目尻が上がっています。耳もちょっとという感じですね。俳優の中井貴一に似てる? 先にも記載しましたが、頭部と体部は製作年代が違い、頭部は室町時代で体部は江戸時代です。
本堂にはその他に本尊の脇侍の不動明王立像、毘沙門天立像。本堂左奥に踏出阿弥陀如来立像。右奥に元三大師画像、普賢菩薩像、法然上人像を安置。また、北野天満宮の本地仏だったという十一面観音立像が安置されていました。 
本堂を出て右側(東側)の傾斜地には祠、お堂、宝篋印塔(重文)がありました。
拝観受付で預けておいた御朱印帳を受取り、次の寺院(と言っても隣ですけど)へ向かいました。

勝林院の手前、実光院の向かいに後鳥羽天皇 大原陵・順徳天皇 大原陵と法華堂があります。
折角ですから写真だけ載せておきます。


大原寺勝林院(京都府)
御朱印
大原寺勝林院(京都府)
大原寺勝林院(京都府)
鐘楼
大原寺勝林院(京都府)
本堂
大原寺勝林院(京都府)
大原寺勝林院(京都府)
阿弥陀如来坐像
(ネットから転載)
大原寺勝林院(京都府)
大原寺勝林院(京都府)
大原寺勝林院(京都府)
山王社と観音堂
大原寺勝林院(京都府)
宝篋印塔(重文)
大原寺勝林院(京都府)
大原寺勝林院(京都府)
大原寺勝林院(京都府)
後鳥羽天皇 大原陵・順徳天皇 大原陵
大原寺勝林院(京都府)
承久の乱で隠岐に流された第82代・後鳥羽天皇と
佐渡に流された第84代・順徳天皇の父子が葬られている陵墓
大原寺勝林院(京都府)
法華堂
後鳥羽天皇の冥福を祈念し建立されたお堂
元は陵内にあったが神仏分離により陵外に移された
(そんな厳密にしなくてもいいのにと思うが・・・)

すてき

御朱印

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