きょうしゃくじ|浄土宗西山禅林寺派|森豊山
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更雀寺のお参りの記録一覧

京都産業大学前を走り抜けて左京区は市原の更雀寺へ。洛陽四十八願地蔵尊でのお詣りで今回二回目。蓮の花は・・・遅かったのかな😔まあ今年は早かったからなぁ・・・。
最近は地蔵巡りをされる方もほとんどおらずありがたいとおっしゃっていただけました😊
こちらのお寺には藤原実方の供養塔があり、奥州に左遷され、亡くなった実方の知らせが届いた京の清涼殿に一羽の雀が舞い降りて膳の飯をついばみ、さらに藤原氏の私学校である勧学院へ舞い降りてそのまま息絶えたのだそう。京へ帰りたかった実方の一念が雀となって戻ってきたのであろうと噂し、勧学院に慰霊塔と雀塚を建てたのだとか。ちなみにこの藤原実方は母が源倫子の異母姉であり、清少納言の恋人とも噂された人物・・・なのだが昨年の大河ドラマ「光る君へ」には登場していない。光源氏のモデルの一人ともされており、左遷になったのも藤原行成の冠を投げ飛ばしたというまあまあ大事を一条天皇の目の前でやったからではあるのだが・・・。ことを起こして左遷されたのが長徳元年。つまり藤原道長の兄、道隆の時代。これが道長の時代であればまた違う待遇になったかもしれませんが・・・😅

寺号標

山門

境内。蓮は終わったのかな?

地蔵堂

桶取り地蔵と御前立の地蔵様

扁額

藤原実方供養塔

雀塚

手水鉢にも雀

本堂

同扁額

叡山電鉄鞍馬線「京都精華大学前」駅下車徒歩3分。浄土宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。
永観堂の末寺で793年に賢憬が開創。元々は、藤原家の観学院として藤原家の学問所が四条大宮の場所にありました。
通称「雀寺」と呼ばれ、平安中期の貴族で藤原実方の霊を弔ったものです。
実方は、歌人であった藤原行成と一条天皇の御前で口論となり、実方が笏で冠を払い落とす事件があり、奥州へ左遷となりました。
999年、落馬による事故で命を落として以後、京都にもその知らせが入り、清涼殿では1匹の雀が台盤所の飯をついばむ出来事があり、
同じ京都の観学院でも住職の観智上人の夢枕に1匹の雀が現れては、スズメとなって帰ってきた実方で供養して欲しいのお告げがありました。
境内には、息が絶えている1匹の雀を見つけ、「雀塚」を建てて実方の霊を弔ったと言われています。
昭和52年に四条大宮から現在地に移ってきました。お参りの際にご住職は留守でしたが、後日郵送でお願いいたしました。

鞍馬街道沿いに佇む寺院です。

境内は、蓮の鉢が多くあり、この時期はとても綺麗に咲いているのだろうと想像します。

地蔵堂です。

安置されている地蔵菩薩は、「桶取地蔵」と呼ばれ、壬生寺で催される「大念仏狂言」の一つ「桶取」にも登場します。


本堂です。


境内至る所に、スズメがいます。

雀塚です。


何をヒソヒソと話しているでしょうか?

今日も静かに見守っています。

後日、お願いした御朱印です。
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