れいげんじ|臨済宗|清涼山
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霊源寺の編集履歴
2023年11月25日 00時39分
ご由緒
清涼山と号し、臨済宗に属する。
寛永十三年(1636)後水尾上皇が、仏頂国師(一絲文守)を開山に講じ創建した寺で、当初霊源庵と呼ばれていたが、寛文六年(1666)上皇より勅願を賜り、現在の山号、寺名に改められた。さらに寛文十一年(1671)には、御所の清涼殿の用材を賜り、仏殿が建立されたと言われている。その後も霊元上皇の勅願所なるなど、朝廷の厚い帰依を受けた。
仏殿には、本尊釈迦如来像及び後水尾上皇開山像などが安置している。
また、仏頂国師が岩倉家の出身であったことから、文久二年(1862)岩倉具視が、当寺で出家隠棲した。境内には、具視の歯牙塚が残っている。
編集前:清涼山と号し、臨済宗に属する。
寛永十三年(1636)後水尾上皇が、仏頂国師(一絲文守)を開山に講じ創建した寺で、当初霊源庵と呼ばれていたが、寛文六年(1666)上皇より勅願を賜り、現在の山号、寺名に改められた。さらに寛文十一年(1671)には、御所の清涼殿の用材を賜り、仏殿が建立されたと言われている。その後も霊元上皇の勅願所なるなど、朝廷の厚い帰依を受けた。
仏殿には、本尊釈迦如来像及び後水尾上皇開山像などが安置している。
また、仏頂国師が岩倉家の出身であったことから、文久二年(1862)岩倉具視が、当寺で出家隠棲した。境内には、具視の歯牙塚が残っている。
山号
清涼山
創立
1636年(寛永13年)
創始者/開山・開基
後水尾上皇/仏頂国師(一絲文守)
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