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2026年03月19日(木) 23時04分 bysoo_cyan
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ごねんじ
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天台僧護念慈応上人が鎌倉初期に父・源為義菩提のために創建されたと伝えられています。平治の乱で源氏は平家に敗れ、護念上人も追われの身となり、逃れる際一夜の夢に尊像が現れ「我首を持ち廻国修行すべし。吾が住まわれる地ぞ至るべし。」と比叡山無動寺の最澄請来不動を持ち諸国を行脚し越後国蒲原郡菅谷の里に一宇菅谷寺を建立し開祖となりました。 鎌倉の『園大暦』貞和二年(1346)十月十七日には能登権守藤原利顕(護念寺造営功)と記されています。 鎌倉から室町にかけては臨済宗の尼寺であり、京都尼寺五山の一つに列しておりました。 その後応仁の乱などを経て衰退した後、慶長元年(1596)慶長伏見地震の後、駿府の報土寺六世であった重譽(十譽)上人がこの地に来られ、浄土宗として再興されました。 今日に至るまで西陣の大火による焼失烏有など大きな災害を幾度も乗り越え現在に至ります。 現在の本堂は大正九年(1920)に落慶され、それに伴い六軒町より出入りしていた當寺は、山門を移築し今出川通より出入りするようになりました。
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天照山
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慈恩院
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1158年
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護念慈応上人
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重譽(十譽)上人
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慶長元年(1596)