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浄福寺ではいただけません
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浄福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2018年02月19日(月)
「赤門」浄福寺。
創建は平安初期。当初は天台宗の寺として建立され、京都二十五大寺の1つに数えられていた。
その後たびたび火災に見舞われ、たびたび移転と再建を繰り返す。
後宇多天皇による再建があったり、後柏原天皇により念仏三昧堂の称号を賜り浄土宗を兼ねるようになったりした後、戦国時代が明けて江戸時代に入った頃、現在の地に落ち着いた。
寺の俗称にもなっている「赤門」には天明の大火の際、鞍馬の天狗が降りてきて寸前の所で火を消した、とする伝説や、また、秀吉の聚楽第の一部であるとする説など、様々な逸話が残されている。
寺内の建築物は江戸中期の浄土宗寺院の伽藍配置、および建築様式を伝える貴重な資料として京都市指定有形文化財に指定されている。
また、ここは幕末、島津久光が西郷隆盛ら薩摩藩士を従えて上洛した際、藩邸に入りきれなかった藩士たちの定宿として利用していた寺でもあり、建屋の一部にはその際つけられた刀傷が残っているらしい。
創建は平安初期。当初は天台宗の寺として建立され、京都二十五大寺の1つに数えられていた。
その後たびたび火災に見舞われ、たびたび移転と再建を繰り返す。
後宇多天皇による再建があったり、後柏原天皇により念仏三昧堂の称号を賜り浄土宗を兼ねるようになったりした後、戦国時代が明けて江戸時代に入った頃、現在の地に落ち着いた。
寺の俗称にもなっている「赤門」には天明の大火の際、鞍馬の天狗が降りてきて寸前の所で火を消した、とする伝説や、また、秀吉の聚楽第の一部であるとする説など、様々な逸話が残されている。
寺内の建築物は江戸中期の浄土宗寺院の伽藍配置、および建築様式を伝える貴重な資料として京都市指定有形文化財に指定されている。
また、ここは幕末、島津久光が西郷隆盛ら薩摩藩士を従えて上洛した際、藩邸に入りきれなかった藩士たちの定宿として利用していた寺でもあり、建屋の一部にはその際つけられた刀傷が残っているらしい。
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