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後白河院御聖蹟 法住寺の御由緒・歴史
ご本尊 | 身代り不動明王 | |
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創建時代 | 永祚元年(989) | |
開山・開基 | 藤原為光 | |
ご由緒 | 平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇も崩御すると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。
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歴史 | 歴史[編集] 平安中期[編集] 『扶桑略記』によると永延2年(988年)に藤原為光が法住寺供養(落慶法要)を営んだとするが、寺が造営された位置は不明である[1]。為光は寛和元年(985年)6月に妻を、次いで7月には花山天皇の女御であった娘藤原忯子を失っており、その菩提を弔う目的でこの寺を創建したという[2]。しかし、『小右記』によると長元5年(1032年)に焼亡したという[1][2]。 院政期・法住寺殿[編集] 平安時代後期中葉になり信西(藤原通憲)によって法住寺堂や邸宅が造営された[1]。 保元3年(1158年)に後白河天皇は譲位して上皇となり、法住寺を院の御所に定めたという[2]...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「法住寺 (京都市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B3%95%E4%BD%8F%E5%AF%BA%20%28%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%29&oldid=102591026 |
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