ほうじゅじ
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楽しみ方寶樹寺(宝樹寺)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月20日(金) 22時00分02秒
参拝:2024年12月吉日
京都市東山区にあるお寺です。
JR東福寺駅から徒歩2分ほどの所にあります。
特別拝観の予定が書かれていましたが どうやらこのお寺のことではありませんでした。
山門に柵があって中に入れませんでしたが 由緒書があったので 由緒については分かりました。
清涼山に号する浄土宗西山禅林寺派の寺である。
むかし この地の北辺に一ノ橋と呼ばれる橋が架かっていたことから橋詰堂とも呼ばれていたと伝えられている。
宝永3年(1706)僧聖空によって中興され 寺名を寶樹寺と改められ 現在に至っている。
本堂には 本尊の阿弥陀如来立像及び薬師如来座像を安置している。
この薬師如来座像は 俗に「子そだて常盤薬師」と呼ばれ 常盤御前が 今若(阿野全成) 乙若(義円) 牛若(源義経)の3児の生長を祈願した像と伝えられている。
なお薬師如来座像はかつて宝樹寺の西にあった薬師堂が移されたと言われています。
また 境内には 「常盤御前雪除けの松」と呼ばれる残株があり 常盤御前が大和(奈良県)へ逃れる際 この地の老松の下で しばし雪の降るのを避けたと伝えられている。
ネット情報ですが 伝説によると・・・
1159年(平治元年)12月 平治の乱で源義朝が平清盛に敗れると 側室だった常盤は三人の子を連れて大和に逃れた。しかし 常盤の母が捕えられてしまう。
清盛の下へ自首することを決めた常盤は 翌年2月 雪の降る中を京へと戻ってきたのだという。
一ノ橋にさしかかったところで 雪を避けるため松の木の下で休息をとった常盤と三人の子たちが
再び歩き出そうとすると 守り本尊としていた薬師如来がつぎのように告げたのだという。
「私をこの地に置いて行きなさい。」
その後 常盤と三人の子たちは救われたのだという。
JR東福寺駅から徒歩2分ほどの所にあります。
特別拝観の予定が書かれていましたが どうやらこのお寺のことではありませんでした。
山門に柵があって中に入れませんでしたが 由緒書があったので 由緒については分かりました。
清涼山に号する浄土宗西山禅林寺派の寺である。
むかし この地の北辺に一ノ橋と呼ばれる橋が架かっていたことから橋詰堂とも呼ばれていたと伝えられている。
宝永3年(1706)僧聖空によって中興され 寺名を寶樹寺と改められ 現在に至っている。
本堂には 本尊の阿弥陀如来立像及び薬師如来座像を安置している。
この薬師如来座像は 俗に「子そだて常盤薬師」と呼ばれ 常盤御前が 今若(阿野全成) 乙若(義円) 牛若(源義経)の3児の生長を祈願した像と伝えられている。
なお薬師如来座像はかつて宝樹寺の西にあった薬師堂が移されたと言われています。
また 境内には 「常盤御前雪除けの松」と呼ばれる残株があり 常盤御前が大和(奈良県)へ逃れる際 この地の老松の下で しばし雪の降るのを避けたと伝えられている。
ネット情報ですが 伝説によると・・・
1159年(平治元年)12月 平治の乱で源義朝が平清盛に敗れると 側室だった常盤は三人の子を連れて大和に逃れた。しかし 常盤の母が捕えられてしまう。
清盛の下へ自首することを決めた常盤は 翌年2月 雪の降る中を京へと戻ってきたのだという。
一ノ橋にさしかかったところで 雪を避けるため松の木の下で休息をとった常盤と三人の子たちが
再び歩き出そうとすると 守り本尊としていた薬師如来がつぎのように告げたのだという。
「私をこの地に置いて行きなさい。」
その後 常盤と三人の子たちは救われたのだという。
すてき
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くるくるきよせん2992投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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