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善能寺ではいただけません
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善能寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年09月19日(火)
1971に起きた「ばんだい号」墜落事件の折りに、その遺族によって寄進された慰霊寺。
現在では広く航空犠牲者の供養寺院となっている。
元は東寺近辺にあり、弘法大師空海の創建による。
室町時代に後嵯峨天皇の勅命により現在の地へ移設されたが、明治の廃仏毀釈の折りに廃寺、後に再興された。
在住管理住職を持たず、朱印等は泉涌寺にて受け付けている。
この寺は稲荷大明神の本地仏として聖観音を奉っており、日本最初の稲荷大明神である。
【日本最初の稲荷大明神】
昔、空海が東寺の近辺で1人の翁と出会う。
自らを柴守長者と名乗るこの翁に空海の仏法を守護する、と言われたことから空海は翁のためのお堂を建立。翁が稲を背負った姿であったことからこれを「稲荷大明神」とし、翁のために聖観音を安置した。
これが全国に広く知れ渡り、各地で民間信仰化したものが現在における稲荷信仰のはじまりであると言われている。
(※あくまでも善能寺 寺説による解釈であり稲荷大社の社説とは異なります)
現在では広く航空犠牲者の供養寺院となっている。
元は東寺近辺にあり、弘法大師空海の創建による。
室町時代に後嵯峨天皇の勅命により現在の地へ移設されたが、明治の廃仏毀釈の折りに廃寺、後に再興された。
在住管理住職を持たず、朱印等は泉涌寺にて受け付けている。
この寺は稲荷大明神の本地仏として聖観音を奉っており、日本最初の稲荷大明神である。
【日本最初の稲荷大明神】
昔、空海が東寺の近辺で1人の翁と出会う。
自らを柴守長者と名乗るこの翁に空海の仏法を守護する、と言われたことから空海は翁のためのお堂を建立。翁が稲を背負った姿であったことからこれを「稲荷大明神」とし、翁のために聖観音を安置した。
これが全国に広く知れ渡り、各地で民間信仰化したものが現在における稲荷信仰のはじまりであると言われている。
(※あくまでも善能寺 寺説による解釈であり稲荷大社の社説とは異なります)
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