いまくまのかんのんじ
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今熊野観音寺ではいただけません
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今熊野観音寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年01月17日(月)
参拝:2020年12月吉日
今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)は、京都府京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭。正式な寺号は観音寺。山号は新那智山。本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所観音霊場第15番。
空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが当寺の始まりというが、平安時代前期の斉衡年間(854年~857年)に左大臣・藤原緒嗣(おつぐ)が伽藍を造営したとも伝える。歴朝の崇敬を得て栄え、鎌倉時代には後堀川上皇が当寺に葬られた。戦国時代、応仁の乱で伽藍は焼失したが、その後復興され現在に至っている。
当寺は、JR奈良線・東福寺駅の東方1kmほどの山中、御寺泉涌寺の北側にある。泉涌寺への道のりから分かれた後は、坂を下って橋を渡り緩やかに登ると当寺境内に至る。山の斜面にある境内は、本堂、地蔵堂、大師堂、大講堂を中心とし、高い場所には医聖堂がある。大自然に囲まれた寺院という印象で、ちょうど紅葉のさかりの時期だったこともあり、自分の中では<京都で最も紅葉が美しい寺院>。
今回は、西国三十三カ所観音霊場の札所ということで参拝することに。参拝時は平日の午後、自分以外にも数人参拝者が訪れていた。
空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが当寺の始まりというが、平安時代前期の斉衡年間(854年~857年)に左大臣・藤原緒嗣(おつぐ)が伽藍を造営したとも伝える。歴朝の崇敬を得て栄え、鎌倉時代には後堀川上皇が当寺に葬られた。戦国時代、応仁の乱で伽藍は焼失したが、その後復興され現在に至っている。
当寺は、JR奈良線・東福寺駅の東方1kmほどの山中、御寺泉涌寺の北側にある。泉涌寺への道のりから分かれた後は、坂を下って橋を渡り緩やかに登ると当寺境内に至る。山の斜面にある境内は、本堂、地蔵堂、大師堂、大講堂を中心とし、高い場所には医聖堂がある。大自然に囲まれた寺院という印象で、ちょうど紅葉のさかりの時期だったこともあり、自分の中では<京都で最も紅葉が美しい寺院>。
今回は、西国三十三カ所観音霊場の札所ということで参拝することに。参拝時は平日の午後、自分以外にも数人参拝者が訪れていた。
こちらは御寺泉涌寺と共通の参道を登って来て、御寺泉涌寺との分岐点。
分岐点から一度坂道を下って行く。
<鳥居橋>を渡る。
銀杏並木を進んで行く。
境内入口。
入口から徐々に登って行く。
一段上がったところにある<子護大師>。
子護大師の近くにある<手水鉢>。
さらに一段上がったところからの景色。
山の上方にある<医聖堂>。建立は1984年と新しい。
<本堂>全景。江戸時代中期1712年、宗恕祖元による再建。
<本堂>入口。
<本堂>正面。奉納額などが賑やか。左側は納経所。御朱印はこちら。
本堂の左隣にある<お守授与所>。
本堂に向かって右手にある<大師堂>。手前右側には<ぼけ封じ観音>。ぼけ封じ近畿十楽観音霊場1番。
<大師堂>全景。弘法大師を祀り、「東山大師」とも呼ばれる。
<大師堂>正面。
大師堂の右手にある<稲荷社>(左)と<熊野権現社>(右)。ともに当寺の鎮守社。
稲荷社・熊野権現社の近くにある<鐘楼>。
美しい紅葉。
最後に境内全景。
帰り道、再び<鳥居橋>。
すてき
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惣一郎1269投稿
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