きたしらかわのみささぎ
北白河陵のお参りの記録一覧
後二条天皇 北白河御陵
代数 第94代
天皇名 後二条天皇
(ごにじょうてんのう)
御父 後宇多天皇
御母 西華門院源基子
御陵名 北白河陵
御陵形 円丘
京都市左京区北白川追分町
[北]
↑後二条天皇陵
後一条天皇陵 参道
↓冷泉天皇陵
[南
白川追分町の京都大学構内の東端に、
北白河陵(きたしらかわのみささぎ)があります。
鎌倉時代後期の大覚寺統の第94代・後二条天皇、その第1皇子・邦良親王(くにながしんのう)が葬られています。
鎌倉時代、1308年、8月25日(新暦9月10日)、
後二条天皇は二条高倉殿で亡くなります。8月28日、北白川殿で火葬にされ、その地を陵として埋葬されました。 1326年、3月20日(新暦4月23日)、邦良親王が亡くなります。 その後、荒廃し、福塚と称されます。 江戸時代(元禄年間1688-1704)、幕府探陵で陵所となります。
1864年、御陵の修補が行われました。
後二条天皇
鎌倉時代後期の第94代・後二条天皇(1285-1308)。
1298年、持明院統の第92代・伏見天皇に続き、その第一皇子・第93代・後伏見天皇が皇太子になります。
この頃、皇位は天皇家の持明院統、大覚寺統の間で争われていて、受難続の天皇でした。
1308年、大覚寺統の後継だった後二条天皇は、二条高倉殿で早世。
鎌倉時代後期の皇太子・邦良親王(くにながしんのう、1300-1326)。惟善(これよし)邦良(くによし)。
第94代・後二条天皇の第1皇子、母は典侍・藤原宗子(むねこ)。永嘉門院瑞子女王に養われました。
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