こやすかんぜおん(きたしらかわせきぶつぐん)
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子安観世音(北白川石仏群)ではいただけません
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子安観世音(北白川石仏群)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2018年10月19日(金)
参拝:2018年10月吉日
吉田神社のある吉田山の北側、今出川通り沿いにやたら目を引く巨大なお地蔵様のようなものがある。
これはお地蔵様ではなく石仏。子安観世音と呼ばれるもので、その昔、ここ北白川付近は洛中から洛外の北へ向かう際の交通の要所であり、都から延暦寺へ向かう際の裏参拝口でもあったらしく、その目印として、また、旅の安全祈願に地蔵が据えられたことが最初らしい。
付近には他に大日如来の石仏が2体並んで据えてあるのだが、これらが一体いつごろのもので誰の手によるものなのか等一切不明である。
ただ、このひときわ大きな観音様はかつて豊臣秀吉が自身のコレクションとして一時期聚楽第に移設していたことがある。
だが、城内にて石仏の声を聴いた、祟りがあるのではないか、など不安の声があまりに多かったため、やむなく元あった現地に戻されたらしい。
秀吉の逸話だけ聞くと恐ろしいもののような印象を受けるが、あくまでも秀吉が勝手に移動させたことによるものであり、古くは子供を助けたとする逸話があることから「子安」観世音と呼ばれている。
これはお地蔵様ではなく石仏。子安観世音と呼ばれるもので、その昔、ここ北白川付近は洛中から洛外の北へ向かう際の交通の要所であり、都から延暦寺へ向かう際の裏参拝口でもあったらしく、その目印として、また、旅の安全祈願に地蔵が据えられたことが最初らしい。
付近には他に大日如来の石仏が2体並んで据えてあるのだが、これらが一体いつごろのもので誰の手によるものなのか等一切不明である。
ただ、このひときわ大きな観音様はかつて豊臣秀吉が自身のコレクションとして一時期聚楽第に移設していたことがある。
だが、城内にて石仏の声を聴いた、祟りがあるのではないか、など不安の声があまりに多かったため、やむなく元あった現地に戻されたらしい。
秀吉の逸話だけ聞くと恐ろしいもののような印象を受けるが、あくまでも秀吉が勝手に移動させたことによるものであり、古くは子供を助けたとする逸話があることから「子安」観世音と呼ばれている。
吉田山のすぐ北面に建つ、やたら大きな石仏。
すぐ脇には地蔵も。
ご尊顔。
そこから西へ少し行った先にある2体並びの大日如来。ここが旧「延暦寺裏参拝口」だったらしい。
おやさしいご尊顔。
さらに西、京大農学部の脇にも地蔵堂がある。
すてき
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