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はちじんじゃ

八神社の御由緒・歴史
京都府 元田中駅

ご祭神《主》高御産日神,神産日神,生産日神,足産日神,玉積産日神,大宮売神,御食津神,事代主神
《相》十禅師大明神(豊斟渟尊)
創建時代大同年間(800~807)
ご由緒

本社の御鎮座は、平安時代初め大同年間(800~807)と伝えられ、平成十九年目出度くご鎮座千二百年を迎えられました。ただ幕末嘉永六年(1858)の浄土寺村一村全焼により古文書等も焼亡し、くわしい歴史は明らかではありません。
ただ『諸社根元記』には「延喜五年(905)十二月二十六日宣下、山城国愛宕郡如意峰の神祇斎場所に、二千百三十二座の神体を鎮め安じ奉る。」と見え、後の文章には「鎮魂の八神殿、亦神祇宮に在り。則ち今の二条所司庁の西なり。茲れ自り東山如意嶽移り、御土御門院天皇の文明十六年(1484)吉田神楽岡に移しまつる。」とあります。
思考するに、古くより浄土寺地域一帯の産土神として祀られていた神社の社地へ、延喜五年神祇宮で奉斎されていた神々が祀られる事となった。また相殿の樹下社も、比叡また日吉大社が勢力を大きく伸ばした平安時代後期から鎌倉時代にかけてのいずれかの時期に祀られたようである。すくなくとも室町時代足利義政が東山殿を建てた頃には八神社として本殿二棟、東に八神、西に樹下社が祀られていた事が慈照寺所蔵の絵図によって知られる。
その後文明十六年に八神殿が当所より吉田神楽岡(現在の吉田神社大元宮)に移された後も、平安時代より八神殿を祭祀してきた場所として引き続き宮中八神殿の神々を斎ってきたと思われる。
現在では浄土寺一帯や慈照寺の鎮守として広く崇敬を集めている。

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