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粟田神社ではいただけません
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粟田神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年03月06日(日)
参拝:2022年2月吉日
京都市製作の案内板によれば、旧粟田口村の産土神であり、平安前期(876)に出羽守 藤原興世(ふじわらのおきよ)が勅命によって勧請したことに始まり、平安後期に天台宗の僧である忠尋(ちゅうじん)が再建したものの、応仁の乱の戦禍に巻き込まれて焼失し、戦国中期に吉田兼倶(よしだかねとも)が再興したとされています。
一方、神社側の案内板によれば、上古の頃、第5代孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)を祖とする粟田氏が、祠を建てて氏神として祀っていたとも記されています。そのため、もしかすると相当古い時代から存在する神社なのかもしれません(ちなみに粟田氏は熱田(現・愛知県)に移ったとされる)。
なお、江戸時代までは「感神院新宮」「粟田天王宮」「粟田八大王子社」などと呼ばれていたそうですが、明治に入って社名を「粟田神社」と改めたとされています。
一方、神社側の案内板によれば、上古の頃、第5代孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)を祖とする粟田氏が、祠を建てて氏神として祀っていたとも記されています。そのため、もしかすると相当古い時代から存在する神社なのかもしれません(ちなみに粟田氏は熱田(現・愛知県)に移ったとされる)。
なお、江戸時代までは「感神院新宮」「粟田天王宮」「粟田八大王子社」などと呼ばれていたそうですが、明治に入って社名を「粟田神社」と改めたとされています。
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