じょうとくじ|浄土宗|塩竈山(えんそうざん)
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上徳寺の御由緒・歴史
ご本尊 | 阿弥陀如来 | |
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創建時代 | 1603年(慶長8年) | |
開山・開基 | 徳川家康/伝誉蘇生上人・上徳院殿(阿茶局) | |
ご由緒 | 上徳寺(じょうとくじ)・世継地蔵(よつぎじぞう)は第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルと言われている左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘・六条河原院(塩竃第)があった場所と言われています。上徳寺は1603年(慶長8年)江戸幕府初代将軍・徳川家康が側室・阿茶局(あちゃのつぼね・雲光院(うんこういん))と側室・お仙の方(泰栄院・たいえいいん)の菩提を弔う為、阿茶局の叔父・伝誉一阿を開山として創建しました。家康は快慶作とも言われる本尊・阿弥陀如来像を滋賀矢橋の鞭碕神社(むちさきじんじゃ)から移したと言われています。ちなみに上徳寺の名称は阿茶局の法名・上徳院殿に由来しています。その後1788年(天明8年)の天明の大火や1864年(元治元年)の元治の大火で焼失し、明治時代に永観堂(えいかんどう・禅林寺(ぜんりんじ))の祖師堂を移して現在の本堂にしました。なお世継地蔵は1656年(明暦3年)と享保年間(1716年~1736年)の1720年頃に祥瑞があったとされ、安産・子授けで信仰されるようになりました。
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