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じょうとくじ|浄土宗塩竈山(えんそうざん)

上徳寺の編集履歴
2023年12月24日(日)
京都府 清水五条駅

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soo_cyan
2023年12月24日 09時13分

ご由緒

上徳寺(じょうとくじ)・世継地蔵(よつぎじぞう)は第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルと言われている左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘・六条河原院(塩竃第)があった場所と言われています。上徳寺は1603年(慶長8年)江戸幕府初代将軍・徳川家康が側室・阿茶局(あちゃのつぼね・雲光院(うんこういん))と側室・お仙の方(泰栄院・たいえいいん)の菩提を弔う為、阿茶局の叔父・伝誉一阿を開山として創建しました。家康は快慶作とも言われる本尊・阿弥陀如来像を滋賀矢橋の鞭碕神社(むちさきじんじゃ)から移したと言われています。ちなみに上徳寺の名称は阿茶局の法名・上徳院殿に由来しています。その後1788年(天明8年)の天明の大火や1864年(元治元年)の元治の大火で焼失し、明治時代に永観堂(えいかんどう・禅林寺(ぜんりんじ))の祖師堂を移して現在の本堂にしました。なお世継地蔵は1656年(明暦3年)と享保年間(1716年~1736年)の1720年頃に祥瑞があったとされ、安産・子授けで信仰されるようになりました。
上徳寺は浄土宗の寺院です。

編集前:上徳寺(じょうとくじ)・世継地蔵(よつぎじぞう)は第52代・嵯峨天皇の皇子で、光源氏のモデルと言われている左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘・六条河原院(塩竃第)があった場所と言われています。上徳寺は1603年(慶長8年)江戸幕府初代将軍・徳川家康が側室・阿茶局(あちゃのつぼね・雲光院(うんこういん))と側室・お仙の方(泰栄院・たいえいいん)の菩提を弔う為、阿茶局の叔父・伝誉一阿を開山として創建しました。家康は快慶作とも言われる本尊・阿弥陀如来像を滋賀矢橋の鞭碕神社(むちさきじんじゃ)から移したと言われています。ちなみに上徳寺の名称は阿茶局の法名・上徳院殿に由来しています。その後1788年(天明8年)の天明の大火や1864年(元治元年)の元治の大火で焼失し、明治時代に永観堂(えいかんどう・禅林寺(ぜんりんじ))の祖師堂を移して現在の本堂にしました。なお世継地蔵は1656年(明暦3年)と享保年間(1716年~1736年)の1720年頃に祥瑞があったとされ、安産・子授けで信仰されるようになりました。
上徳寺は浄土宗の寺院です。

アクセス

京阪電車「清水五条」下車、徒歩約5分
市バス「河原町五条」下車、徒歩約2分

編集前:京阪電車「清水五条」下車、徒歩約5分
市バス「河原町五条」下車、徒歩約2分

山号

塩竈山(えんそうざん)

院号

霊光院

創立

1603年(慶長8年)

創始者/開山・開基

徳川家康/伝誉蘇生上人・上徳院殿(阿茶局)

巡礼

京都通称寺の会
洛陽四十八願第34番

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