にゃくいちじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
若一神社の編集履歴
2021年05月29日 10時51分
ご由緒
光仁天皇の御代、唐より威光上人来り、天王寺に住し、紀州熊野に詣でし折り、 迷い苦しむ人々を救わんと、御分霊若一王子の御神体を笈に負い旅立ち当地に来り、 森の中の古堂に一夜を明かし御神意に従い堂中に安置し奉斎鎮座し給う。
宝亀3年(772年)なり。
其の後、異変により、土中に入り給う。
平清盛公、六波羅在住の頃、此の地は浅水の森と称し風光明媚なる処、 承安年中此の地に別邸造営在住す。西八条御所と唱り。
仁安元年(1166年)8月、熊野詣で給う時、御告げあり、土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ。
平清盛公、帰京の後、公が邸内探したる所、東方築山より夜光を放つ。 清盛公歓喜して自ら三尺穿ち給へば土中より若一王子の御神体現わる。
社を造り鎮守し開運出世を祈り給へば、翌年仁安2年(1167年)2月10日太政大臣に任ぜられる。
故に、開運出世の神様と尊崇される所以也。
社前の楠の大樹は清盛公御手植と伝へられる御神木也。
当時、西八条殿は50余の邸があったと伝へられる。
アクセス
JR西大路駅より徒歩7分
巡礼
西大路七福社ご利益めぐり
行事
例祭 十一月十日
月旦祭 毎月一日
月次際 毎月十日
旬祭 毎月二十一日
末社寿社 よもぎ祭 五月二十一日
ログインすると情報を追加/編集できます。