とううんじ|曹洞宗
東運寺の編集履歴
緯度
34.89927090586002
編集前:34.8993501
経度
135.71869336627046
編集前:135.7186129
宗派
曹洞宗
ふりがな
とううんじ
ご由緒
寛永10年(1633)、徳川2代将軍秀忠の老中であった永井尚政(なおまさ・1587-1668年)公が淀藩に入り、淀城の初代城主となられました。
これは淀の歴史上では大きなできごとであり、東運寺の始まりにも深く関わっています。
当時の淀は京都と大阪を結ぶ交通の要所であり、治安上のポイントでもありました。そんな重要地を任された尚政公は城下町の開発を進め、淀藩の基礎を築いたと言われています。
ちなみに、いま東運寺のある「淀新町」という地名は、そのときの開発によって新しく作られた町であったところから来ているようです。寛永14年(1637)から翌年にかけてのころです。
新しく作られた「淀新町」、つまり現在の地に東運寺が建てられたのは、1650年代であろうと言えるくらいで、正確にはわかっていません。
ただ、万治2年(1659)に曹洞宗となるという記録がありますので、当初から曹洞宗の寺院であったことは間違いないでしょう。萬安禅師が開山に、尚政公が開基となって、興聖寺の後見寺として始まったのです。
また、古い歴史を持つ薬師如来像も、おそらく同じ時期に今の場に祀られていただろうと思います。
薬師堂内には「寛文12年(1672)と記された飾り」が、堂前には「延宝3年(1675)と記された手水鉢」が、それぞれあって往事の姿が想像できます。
ご祭神/ご本尊
お釈迦さま
アクセス
京阪電鉄本線「淀」駅から徒歩で10~15分
京都京阪バス 淀駅から(宇治・大久保方面行き)3つめの「淀新町」徒歩5分ほど
御朱印
あり
参拝料
なし