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とよたじんじゃ

豊田神社の編集履歴
2024年05月21日(火)
京都府 淀駅

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soo_cyan
2024年05月21日 00時16分

通称

富ノ森神社

ご由緒

 古くは、1200~1300年前、山城地方に神々しさを秘めた大きな森が八つあり(山城八森)、富ノ森を含め、それぞれに神社が祀られた。
 富ノ森神社の祭神は、宇賀ノ御魂大神、別雷神の二柱を祀る。上賀茂社司富野氏、森氏の祖神で、昔は、毎月の神事に社司両家が修楔したという。
 この辺りは、古くは巨椋池に臨む河原で、一口に渡る賃船発着場であったため「古渡」ともいわれた。
 豊臣秀吉が伏見城築城に際し淀堤改修を行い、それに伴い富ノ森神社を現在地(北ノ口)に移築し、豊田神社と改名された。
 幕末には、富ノ森は会津領(役科)となる。鳥羽伏見の戦いでは、賊軍となった旧幕府側は多くの戦死者を出した。その亡骸は近くの千両松墓地に四一名、愛宕茶屋の墓地に三八名が今も静かに眠っている。

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