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2025年12月04日(木) 18時46分 bysoo_cyan

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さいしゅうじ
ご由緒
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当時は浄土真宗蓮如上人御旧跡の随一。蓮如上人に帰依し山科本願寺の寺地を寄進せる海老名五郎左衛門信忠は、法明淨乘と賜わる。
文明十三年(1481)十月十八日、御絵像の「方便法身尊形」を下され、山科本願寺諸堂と共に建立なされた西宗寺の開基となる。
 明応七年大坂にて上人御不例なり。翌年二月山科本願寺へ御登里を願われ、淨乘の子祐信にその用意仰せつけたまう。山科へ御つきあり。御影堂の御真影に暇乞いなさり、祐信に御尊影「山科蓮如上人御形見の御影」をお願いします。与えたまう。明応八年(1499)三月二十五日、上人恩徳の深かりしこの地で浄土に遠帰したまう。かなしきかなや日月西雲にかくれ法灯もゆらぐ。              -西宗寺縁起よりー
編集後
当時は浄土真宗蓮如上人御旧跡の随一。蓮如上人に帰依し山科本願寺の寺地を寄進せる海老名五郎左衛門信忠は、上人より淨乘という法名を賜わる。文明十三年(1481)十月十八日、淨乘は上人より御絵像の「方便法身尊形」をあたえられ、山科本願寺諸堂と共に建立なされた西宗寺の開基となる。
 明応七年大坂御坊にて御不例なった蓮如上人は翌年二月山科本願寺へ御登里を願われ、淨乘の子祐信にその用意を仰せつけた。山科へ着いた上人は御影堂の御真影に暇乞いなさり、祐信に御尊影「山科蓮如上人御形見の御影」を与えた。明応八年(1499)三月二十五日、上人は恩徳の深かりしこの地で往生したと伝えられている。
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