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楽しみ方編集詳細
2025年12月04日(木) 08時14分 bysoo_cyan
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中臣神社(二之宮)
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二之宮(中臣神社)
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なかとみじんじゃ(にのみや)
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にのみや(なかとみじんじゃ)
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中臣宮、山科神社御旅所
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「宇治郡名勝誌」によると,山科二ノ宮とされ、山科は中臣鎌足の領地で、祭神の天児屋根命は中臣氏の祖神となる。しかし、中臣氏との直接の関係、祭祀年代などは不明となるが、かつて、醍醐天皇が山科郷へ行幸の際、倉稲魂神が現れ、天皇と御成約があったとされ、延喜三年の春に、勅命によって、ご分霊が勧請されたとの言い伝えもある。現代は山科神社のお旅所になっている。
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山科盆地はは中臣鎌足で知られる中臣氏(後の藤原氏)本拠地として古くから開発され、大津京や平安京の隣接地としても歴史的に大きな影響を与えた地域とされ、この一帯には「中臣遺跡」と呼ばれる後期旧石器時代(約二万五千年前)から縄文・弥生・古墳・平安時代を経て、室町時代に及ぶ大規模な集落遺跡がある。 創建は、醍醐天皇が山科郷へ行幸の際、倉稲魂神が現れ、天皇と御誓約があったとされ、延喜三年(903)の春に勅命によって御分霊が勧請され、のちに中臣氏の祖神である天児屋根命を合祀した。 「延喜三年癸亥、醍醐天皇行幸の御時、倉稲魂神、影向よわく、御誓約のことありし故に、御社造営ありけり」と言われている。 二之宮は「中臣宮」「中臣神社」とも呼ばれ、山科神社の「末社」であって御旅所ともなっている。
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24時間
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境内自由
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なし
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延喜3年(903年)
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醍醐天皇勅命
