きよたきぐう・せいりゅうぐう(にしかさとりきよたきぐう)
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楽しみ方清瀧宮(西笠取清瀧宮)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月08日(金) 02時14分31秒
参拝:2025年8月吉日
西笠取の集落に到着し、清瀧宮へ。こちらも鳥居が真新しくなっており東西合わせて建てかえたのかな?ただこちらの参道はまさかの階段・・・🥵暑さもあって境内到着で完全にばてました😫しばし休憩し、落ち着いてからお詣り。こちらの御祭神は瓊瓊杵尊。まあもともとは清瀧権現だったのでしょうけど・・・😅本殿右手にやや大きめのお社があり、こちらは摂社で御霊神社。長保2年(1000)に笠取西荘で起こった疫病流行を機に創建されたとのこと。お詣りしてから上醍醐を目指そうと思いましたが登山口がわからずGoogleMapに翻弄されることになり断念しました😭上醍醐奥の院はまたの機会。
東西清瀧宮の詳しいことはわからずでネットにも情報は乏しくです。しかし一つだけ面白い仮説記事を発見。特に気になった記事から抜粋すると
「1097年、平等院建立から45年後、醍醐寺の清瀧権現が醍醐寺・上醍醐寺・上醍醐寺奥の院に分祀された。いずれも、冬至に笠取山山頂からの日の出を拝む位置に並ぶ。笠取山の遥か彼方には伊勢神宮が位置している。さらに奥の院の真東---東の青龍の方位---に、善女龍王の住まう東西の笠取清瀧宮が置かれた。うち西笠取清瀧宮の祭神は天孫天津彦彦火瓊瓊杵尊アマツヒコヒコホノニニギノミコトである。その妃、木花開耶姫命コノハナサクヤヒメを古くから祭神として奉祀するのが、縣神社である。
ここでも筆者の妄想を披露しておこう---平等院建立の際、宇治神社・縣神社の方位は夏至日の出方位であって鬼門方位ではないことは自明であったが、上古から存在する尊い社であるから、便宜上「鬼門の守り」と称した。しかし時間がたつにつれ、真正な鬼門の守りが必要だという意見が強まり、奇跡の特異点宇治神社鳥居および平等院鳳凰堂から正確に鬼門(北東、艮=丑寅、うしとら)の方角にある笠取山に、畏敬に値する社を置くこととした。そこで、すでに龍の地・宇治にふさわしいとして醍醐寺にいた善女龍王を祀ることとし、醍醐寺に命じて清瀧権現を分祀させ奥の院と東西笠取清瀧宮を創設。西笠取清瀧宮の祭神としては、当然、縣神社の妃コノハナサクヤヒメを守るニニギノミコトを当てたのである---。
妄想はさておき、祭神の観点で、笠取と宇治は深くつながっており、宇治は、その北東、宇治川上流の笠取の山地に善女龍王をいただきその守護を受ける、まぎれもない龍の地となったのである。」
笠取の東西清瀧宮が宇治の「鬼門の守り」として勧請され西笠取清瀧宮の瓊瓊杵尊は裏鬼門の縣神社御祭神木花開耶姫命の夫であるということ。つまりは廃仏毀釈によって御祭神が変えられたのではなくもともと瓊瓊杵尊も祀られており、清瀧権現だけが外されたということなのか?そうなれば東笠取清瀧宮の御祭神が木花開耶姫命の父・大山津見神であることも合点がいきます。
仮説ではありますが特に京都・宇治を知っているととても興味深い記事なので気になる方はぜひご参考までに🤗
https://zhuowarebackyard.ninja-web.net/articles/eupho/EuphoCapriceChap1/EuphoCapriceChap1v03.html
東西清瀧宮の詳しいことはわからずでネットにも情報は乏しくです。しかし一つだけ面白い仮説記事を発見。特に気になった記事から抜粋すると
「1097年、平等院建立から45年後、醍醐寺の清瀧権現が醍醐寺・上醍醐寺・上醍醐寺奥の院に分祀された。いずれも、冬至に笠取山山頂からの日の出を拝む位置に並ぶ。笠取山の遥か彼方には伊勢神宮が位置している。さらに奥の院の真東---東の青龍の方位---に、善女龍王の住まう東西の笠取清瀧宮が置かれた。うち西笠取清瀧宮の祭神は天孫天津彦彦火瓊瓊杵尊アマツヒコヒコホノニニギノミコトである。その妃、木花開耶姫命コノハナサクヤヒメを古くから祭神として奉祀するのが、縣神社である。
ここでも筆者の妄想を披露しておこう---平等院建立の際、宇治神社・縣神社の方位は夏至日の出方位であって鬼門方位ではないことは自明であったが、上古から存在する尊い社であるから、便宜上「鬼門の守り」と称した。しかし時間がたつにつれ、真正な鬼門の守りが必要だという意見が強まり、奇跡の特異点宇治神社鳥居および平等院鳳凰堂から正確に鬼門(北東、艮=丑寅、うしとら)の方角にある笠取山に、畏敬に値する社を置くこととした。そこで、すでに龍の地・宇治にふさわしいとして醍醐寺にいた善女龍王を祀ることとし、醍醐寺に命じて清瀧権現を分祀させ奥の院と東西笠取清瀧宮を創設。西笠取清瀧宮の祭神としては、当然、縣神社の妃コノハナサクヤヒメを守るニニギノミコトを当てたのである---。
妄想はさておき、祭神の観点で、笠取と宇治は深くつながっており、宇治は、その北東、宇治川上流の笠取の山地に善女龍王をいただきその守護を受ける、まぎれもない龍の地となったのである。」
笠取の東西清瀧宮が宇治の「鬼門の守り」として勧請され西笠取清瀧宮の瓊瓊杵尊は裏鬼門の縣神社御祭神木花開耶姫命の夫であるということ。つまりは廃仏毀釈によって御祭神が変えられたのではなくもともと瓊瓊杵尊も祀られており、清瀧権現だけが外されたということなのか?そうなれば東笠取清瀧宮の御祭神が木花開耶姫命の父・大山津見神であることも合点がいきます。
仮説ではありますが特に京都・宇治を知っているととても興味深い記事なので気になる方はぜひご参考までに🤗
https://zhuowarebackyard.ninja-web.net/articles/eupho/EuphoCapriceChap1/EuphoCapriceChap1v03.html

鳥居。こちらも真新しい。

社号碑

扁額

参道・・・まじかぁ

しいのき

なかなかの急階段。スロープ右にはとろっこのレールらしきものも

境内到着。帰りに数えたら130段でした🥵

神庫かな?

社務所のようですがご不在のよう

お堂の様な感じもするが・・・?この建物じつは後ろ側が縣造になっているらしい。見落とした😱

手水舎

狛ちゃん阿

吽。阿と比べるとずいぶん年代を感じるのだが・・・どう見ても阿だけが後に作られたようですね。

本殿

扁額

末社。御祭神不明。

摂社御霊社。
すてき
投稿者のプロフィール

soo_cyan4435投稿
京都在住。京都の寺社仏閣を中心に終活兼ねて巡っております。基本的にレビューは感想や体験などを。寺社の情報は直接編集いたします。御朱印・御首題は令和4年の正月からスタート。 洛陽、洛西三十三所観音...もっと読む
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