だいこうじ|浄土宗|藤澤山
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藤澤山 宝厳院 大光寺の御由緒・歴史
ご本尊 | ・春日大明神作の阿弥陀三尊(ご本尊)安土桃山時代作 ・耳と安産にご利益がある薬師三尊(奈良の薬師寺様より)平安時代作 ・伏見人形として作られた十二神将(頭に十二支)江戸時代作 ・アフロ阿弥陀でお馴染みの木造の五劫思惟阿弥陀像(頭部は寺伝によると善導大師作) | |
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創建時代 | 1260年 | |
開山・開基 | 寛海上人 | |
ご由緒 | 開山は1260年、法然6代目の弟子、寛海上人によります。室町時代の一時期には伏見殿(伏見御所)が焼失したために、栄仁親王(伏見宮家初代)やその子貞成親王(後崇光院)により伏見殿の仮のおすまい(=仮御所)となりました。現在は大手筋商店街の中に位置します。 | |
歴史 | 歴史[編集] 大光寺は、鎌倉時代の文応元年(1260年)に、浄土宗の開祖法然より6代孫弟子の空蔵房寛海により開基される。当初の寺名は大光明寺で、即成院のあった村(現在の伏見区桃山町松平武蔵)にあった。 文和年間(1352年 - 1356年)、広義門院西園寺寧子(後伏見天皇の女御)が、南西の地一帯(現在の伏見区桃山町泰長老)に新たに伽藍を拡張した。以後、臨済禅僧の入寺により、拡張後の大光明寺は禅刹(禅宗の寺)となる。 一方、松平武蔵の地に残った元寺は大光明寺の塔頭となり、宝厳院(ほうごんいん)と称す。宝厳院はその後、室町時代の一時期には伏見殿(伏見御所)が焼失したために、栄仁親王(伏見宮...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「大光寺 (京都市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E5%85%89%E5%AF%BA%20%28%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%29&oldid=102721835 |
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