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2025年05月13日(火) 16時11分 bysoo_cyan

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宗派
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日蓮宗
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日蓮宗妙顕寺派寳塔寺塔頭
ご由緒
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室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)によって京都の多くの寺院が荒廃し、宝塔寺も例にもれず永らく焼失したままとなっていた。
天正18年(1590年)にようやく、日銀( 妙顕寺12世日堯の弟子、宝塔寺の8世となる)によって再興され妙顕寺の末寺となり、その日銀の弟子だった日利(妙顕寺20世)が開いたのが慈雲院である。
明暦3年(1657年)創建で、明治期に同じく塔頭の玉泉院を併合した。
妙顕寺の日利は本圀寺(ほんこくじ)の日隆(にちりゅう、本能寺開山)、小倉山の日現(池上本門寺11世)と並んで傑出した弟子として、日莚(にちえん、妙顕寺17世、身延山久遠寺29世)の葬儀にも3人が馳せ参じたと「隆源院日莚上人略伝」にある。
山号
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深草山
院号
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慈雲院
創立
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1657年(明暦3年)
創始者/開山・開基
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日利上人