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2025年02月03日(月) 18時05分 bysoo_cyan

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名前
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西岸寺
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法性寺小御堂 西岸寺
ふりがな
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さいがんじ
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ほっしょいじこみどう さいがんじ
ご由緒
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西岸寺は平安時代の末、当時の関白であった藤原忠通が建てたと伝えられる法性寺の小御堂が建っていたところで、忠通の子九条兼実もことのほかこの地を愛で花園御殿とも呼ばれました。後白河法皇もしばしばこの地に御幸されており、後に法皇の御製にちなんで西岸寺と号したと伝えられています。
九条兼実は法然上人に「阿弥陀仏は、結婚して世俗の生活をしている人も修行をしている僧侶も同じように救うというのならあなたのお弟子の僧侶の中からどなたか一人、私の娘玉日姫(たまひひめ)と結婚させて阿弥陀仏の救いが本物であるということを証明して下さい」とおっしゃられました。浄土真宗の開祖、親鸞聖人は六角堂で救世菩薩より夢告を受けたことから、兼実の娘玉日姫を妻として迎えられました。しかし親鸞聖人は法難により、承元元年(1207)この地より越後に流され、以来、玉日姫は、この小御堂を守り親鸞聖人の安否を気遣いながらこの地で亡くなられました。その後、玉日姫に仕えていた田村光隆(有阿弥1176~1269)は親鸞聖人の弟子となり、九条家より小御堂の寄進をうけ、西岸寺を開き玉日姫のお墓をお守りしました。
ご祭神/ご本尊
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阿弥陀如来
Introduction
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