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ごんじょうじ|曹洞宗大本山永平寺末清涼山

欣浄寺の御由緒・歴史
京都府 墨染駅

ご本尊毘盧遮那仏
開山・開基僧正遍昭
ご由緒

 欣浄寺の境内は平安時代の初め、桓武天皇から深草少将善宜卿に邸地として賜ったもので、往時は八丁四面の広さであったと伝えられる。深草少将は弘仁3年(813年)3月16日に薨去し、この地に埋葬された。
 欣浄寺の山号「清涼山」は少将の院号(法名・清涼院殿蓮光浄輝大居士)に由来する。
その後、仁明天皇の寵臣五位少将蔵人頭良峰宗貞(僧正遍昭)が帝の崩御に遭い、この菩提に念仏堂を建てて帝の御念仏の阿弥陀如来像と御尊牌を泰安して念佛浄業にふけられたと言われ、これが現在の欣浄寺の起源と伝えられている。
 安貞元年(1227年)、求法のため渡っていて宋国から御帰朝された曹洞宗の宗祖道元禅師は、寛喜2年から天福元年(1230~1232年)宇治興聖寺に移られるまで当時に閑居された。当時は竹林山安養院といい、道元禅師「深草閑居」の旧跡と称されている。
 欣浄寺は初め真言宗であったが、「応仁の乱」のあとで禅宗(曹洞宗)となり天正・文禄年間(1573~1592)に浄土宗とかわり、江戸時代末期の文化年間(1804~1818)再び禅宗(曹洞宗)に転じて現在に及んでいる。欣浄寺の寺号は「欣求浄土」からきており浄土宗時代に改名されたものと思われる。
現在阿弥陀如来像は寺宝として内陣に祀られてあり、丈六の毘盧遮那仏が本尊として中央に安置されている。

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