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あすかたじんじゃ

飛鳥田神社の編集履歴
2024年05月20日(月)
京都府 中書島駅

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soo_cyan
2024年05月20日 23時37分

ご由緒

当社は別雷命・市杵島姫命を祭神とし、白雉四(653)年、孝徳天皇が賀茂・貴布祢両神の神託により社殿を造営したと伝えられる古社である。
平安時代の歴史書『日本紀略』の弘仁七(816)年七月乙酉条に「山城国紀伊郡 飛鳥田神・真幡寸神、官社例預、並鴨別雷神別也」とあり、また延長五(927)年にまとめられた『延喜式神名帳』に「一名柿本社」と記載された所謂「式内社」である。当社は別雷命一座のみであったが、後世に市杵島姫命を合祀したものと考えられる。
中世以降の状況については享保十九(1734)年の『山城志』に記された上梁文からうかがうことができ、これによると応永二十五(1418)年に社殿が造営され、その後文明九(1477)年・天正(1576)年・慶長十九(1614)年に修理、また文禄五(1596)年に屋根葺替が行われていたようである。さらに十七世紀半ば頃には境内の整備が進められていたものと推定され、境内正面の鳥居に「慶安五壬申年/嶋瀉弁財天御宝前」、また手水鉢には「嶋瀉弁財天/御宝前/明暦三年/五月日」の刻銘がみられる。
本殿は大型の一間社流造の建物で、建築年代に関する史料を欠くものの、全体に木割が太くて装飾が少ない点、また蛙股や実肘木・虹梁の形状などから、境内の整備が行われた十七世紀半ば頃までに造営されたものと考えられる。一部改変を受けているものの当初の姿を著しく損なうものではなく、また柱頭に船肘木を落とし込んで柱が直接桁を支持するという特異な手法が採用されている点に特色が見られ、京都市登録有形文化財に指定されている。
近年荒廃が進んでいたが、平成二十五年京都市文化財保護課の指導のもと氏子の浄財を以って、本殿・拝殿以下摂末社の修復と境内整備が行われ、優美な姿を取り戻した。

編集前: 当社は別雷命・市杵島姫命を祭神とし、白雉四(653)年、孝徳天皇が賀茂・貴布祢両神の神託により社殿を造営したと伝えられる古社である。
平安時代の歴史書『日本紀略』の弘仁七(816)年七月乙酉条に「山城国紀伊郡 飛鳥田神・真幡寸神、官社例預、並鴨別雷神別也」とあり、また延長五(927)年にまとめられた『延喜式神名帳』に「一名柿本社」と記載された所謂「式内社」である。当社は別雷命一座のみであったが、後世に市杵島姫命を合祀したものと考えられる。
中世以降の状況については享保十九(1734)年の『山城志』に記された上梁文からうかがうことができ、これによると応永二十五(1418)年に社殿が造営され、その後文明九(1477)年・天正(1576)年・慶長十九(1614)年に修理、また文禄五(1596)年に屋根葺替が行われていたようである。さらに十七世紀半ば頃には境内の整備が進められていたものと推定され、境内正面の鳥居に「慶安五壬申年/嶋瀉弁財天御宝前」、また手水鉢には「嶋瀉弁財天/御宝前/明暦三年/五月日」の刻銘がみられる。
本殿は大型の一間社流造の建物で、建築年代に関する史料を欠くものの、全体に木割が太くて装飾が少ない点、また蛙股や実肘木・虹梁の形状などから、境内の整備が行われた十七世紀半ば頃までに造営されたものと考えられる。一部改変を受けているものの当初の姿を著しく損なうものではなく、また柱頭に船肘木を落とし込んで柱が直接桁を支持するという特異な手法が採用されている点に特色が見られ、京都市登録有形文化財に指定されている。
近年荒廃が進んでいたが、平成二十五年京都市文化財保護課の指導のもと氏子の浄財を以って、本殿・拝殿以下摂末社の修復と境内整備が行われ、優美な姿を取り戻した。

ご祭神/ご本尊

《主》別雷命,市杵島姫命

編集前:《主》別雷神,市杵島姫命

トイレ

なし

編集前:なさ

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