こうえんじ|浄土宗
光縁寺のお参りの記録一覧
![くるくるきよせん](https://minimized.hotokami.jp/VLBuyTKRXAPIrvNRBvAHWz__WZJrek2jtfzsKt6NZyw/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20221231-185127_R773pR4u7E.jpg@webp)
京都市下京区にあるお寺です。
宗旨宗派は浄土宗で 知恩院の末寺になるそうです。
ご本尊は阿弥陀如来です。
創建は慶長18年(1613)頃で 天明の大火により焼失した堂宇は再建されて現在に至っているそうです。
当寺の門前近くには新撰組の馬小屋があり 門前を隊士たちが往来していた。
当時の住職は22世の良誉上人で 新選組の副隊長の山南との間に親交が生まれて 山南の紹介で屯所で切腹した隊士達や山南自身 またその後の多くの隊士が良誉上人に弔われ 埋葬されることになったそうです。
なるほど山門に 新選組の墓参りという文言があるわけです。
ただ 見学は不可能です。
立派な山門
寺標
新選組のお墓参りの看板
石柱 新選組之墓
境内 お墓参りの方がいらっしゃいました
![nahi](https://minimized.hotokami.jp/1Tccm64qYpvD-JfoLOAHlqe5PE-GsfzADTfYtHbbBjA/s:30:30/q:20/plain/https://pbs.twimg.com/profile_images/903582367176056833/JPz0StrV_normal.jpg@webp)
歩いて光縁寺へ。山南敬助総長をはじめとする新撰組隊士らと、沖田総司の縁者(一説には姉)の墓。梅田に墓のある大阪新撰組を率いていた7番隊長・谷三十郎もこちらに分骨されていたりする。
この寺が新撰組と関わりがあるのは、屯所のあった前川家や八木家から近いこともさることながら、寺の瓦に刻まれていた「丸に右離れ三つ葉立葵」が、偶然山南家と同じ家紋であったことが大きい。これが縁で山南と当時の住職との間に交流が生まれ、屯所で亡くなった隊士が埋葬されることになったという。山南自身も前川家にて沖田総司の介錯で切腹し、この寺に埋葬されている。寺務所に、そのいわれのある瓦と、埋葬されている隊士の一覧表があった。
埋葬されている隊士らは山南をはじめ20名余。かつては御陵衛士となった隊士らの墓もあったそうだが、現在は別の場所へ移されている。また、隊士の墓石は、今より北側の、現在の京福電鉄架線にあったもののうち、いくつかをこちらに移築したものだそうで、遺骸は掘り起こされず現在も線路の下にあるという。また沖田の縁者とされているのは、山南の恋人で、前川家での格子戸の別れで有名な明里のものだという説もある。
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