こうせいじ
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光清寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年11月06日(水)
参拝:2024年11月吉日
京都市上京区の光清寺さんにお参りしました。
以前訪れた時は普通の休日で拝観できなかったのですが 有難いことにご住職から特別拝観の日程を教えていただきました。
ということで最終日の午後ではありましたが 妻とお参りさせていただきました。
参拝者は少なくなかったです。
まずはお茶をいただきました。書院(かな?)で のんびりとした時間の中でおいしいお菓子とお茶をいただきました。
御朱印をいただこうと思ったら 奥様(かな?)が読経とお話の後に直書きでいただけると教えてくださいました。(仮予約みたいなものですね)
14時半から読経があり そのあとご住職のお話を伺いました。
私は宗旨が違いますので 鐘と木魚を使う読経には慣れていないのですが 心地良かったです。
「心和の庭」と 「浮かれ猫」と 掛け軸の字「帰家」のお話を伺いました。
奥様がお伝えくださったこともあり お話が終わったあと 御朱印を直書でいただきました。
お話を伺ったご住職の直筆というのは有り難いものですね。
いつものようにネット調べです。
光清寺は寺伝によると1669年(寛文9年)伏見宮貞致親王(さだゆきしんのう)が生母・安藤定子(慈眼院殿心和光清尼)の為に杲山(こうざん)を開山として創建しました。
当初四宗兼学で 声実庵と称しました。
その後1701年(元禄14年)に焼失し 1706(宝永3年)伏見宮邦永親王が再建し 名称を光清寺に改めました。
なお1758年(宝暦8年)玉照神社が伏見宮邸から移されました。
光清寺は臨済宗建仁寺派の寺院です。
光清寺には「浮かれ猫」の伝承が残されています。
絵馬の猫が三味線の音につられて抜け出し 女性の姿に化けて踊って大騒ぎになり 住職が法力で絵馬に封じ込めたが 嘆願した猫を哀れに思って法力の封を解いたというものです。
特別拝観は年に2回あるそうです。
またお参りしたいと思います。
以前訪れた時は普通の休日で拝観できなかったのですが 有難いことにご住職から特別拝観の日程を教えていただきました。
ということで最終日の午後ではありましたが 妻とお参りさせていただきました。
参拝者は少なくなかったです。
まずはお茶をいただきました。書院(かな?)で のんびりとした時間の中でおいしいお菓子とお茶をいただきました。
御朱印をいただこうと思ったら 奥様(かな?)が読経とお話の後に直書きでいただけると教えてくださいました。(仮予約みたいなものですね)
14時半から読経があり そのあとご住職のお話を伺いました。
私は宗旨が違いますので 鐘と木魚を使う読経には慣れていないのですが 心地良かったです。
「心和の庭」と 「浮かれ猫」と 掛け軸の字「帰家」のお話を伺いました。
奥様がお伝えくださったこともあり お話が終わったあと 御朱印を直書でいただきました。
お話を伺ったご住職の直筆というのは有り難いものですね。
いつものようにネット調べです。
光清寺は寺伝によると1669年(寛文9年)伏見宮貞致親王(さだゆきしんのう)が生母・安藤定子(慈眼院殿心和光清尼)の為に杲山(こうざん)を開山として創建しました。
当初四宗兼学で 声実庵と称しました。
その後1701年(元禄14年)に焼失し 1706(宝永3年)伏見宮邦永親王が再建し 名称を光清寺に改めました。
なお1758年(宝暦8年)玉照神社が伏見宮邸から移されました。
光清寺は臨済宗建仁寺派の寺院です。
光清寺には「浮かれ猫」の伝承が残されています。
絵馬の猫が三味線の音につられて抜け出し 女性の姿に化けて踊って大騒ぎになり 住職が法力で絵馬に封じ込めたが 嘆願した猫を哀れに思って法力の封を解いたというものです。
特別拝観は年に2回あるそうです。
またお参りしたいと思います。
今日は山門が開いています
石柱
心月庭
弁天堂 浮かれ猫のレプリカ
内陣
説明書き
鐘楼堂
中門
別室にて
お茶をいただきました
中庭の様子
心和の庭
心 に見えるでしょ
青石って言うのかな きれいです
苔も素敵な感じです
本堂扁額
鏡文字で書かれています
浮かれ猫 本物
すてき
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くるくるきよせん2024投稿
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