げっこういなりじんじゃ
月光稲荷神社のお参りの記録一覧
京都市中京区にある神社です。
先に紹介させていただいた御旅所から北東に300mほど歩いた所にあります。
住宅街の一角にありますが 鳥居が並んでいますので 遠目から見て分かります。
本殿の前に立ち 拝礼するときに気づきました。小さな貼り紙に。
「泥棒のためお宮がこわされましたので、お賽銭箱をなくしました。御参拝のみお願いいたします。」
賽銭泥棒がいるとは聞いていましたが 本当に罰当たりです。
由緒書が見当たらなかったのですが ネットでアップしておられる方がいらっしゃいました。
切れ切れ爺さんという方のブログから借稿します。
御由緒
月光稲荷神社の起源は今から約一九十年前の寛政十年(一七九八年)に武信稲荷神社(創紀貞観元年”八五九年”現三条大宮西二筋目下ル)より分神してこの土地の守護神として鎮座されたことに始まる
ここ西月光町の土地は寛政八年(一七九六年)当時の地名は山城の国葛野鄙字月光といい建仁寺(現東山区)寺領であったが当時の徳川幕府(十一代将軍家斎の時代)の命により京都所司代によって銀四十貫(江戸時代の通貨の単位)を費やし約千五百坪の土地に土砂を高さ一尺五寸(約四十五糎)に盛り上げ天文台(寛政暦施行の準備のため)を設置した
しかし大変湿気が多かったため早くも寛政十年一月(一七九八年)に天文台は廃止され跡地は払下げられた
この払下げを受けたのが当時の瓦師丁(現在の中京区神泉苑瓦師町の五名の住民であり村の名前を西三条台村と称し守護神として前述の武信稲荷神社よりの分神を祭ったのが起源である
この御社は創建当時は現在の御前姉小路東入る井筒屋才次郎宅内(元山本善雄家)にあったが明治六年(一八七三年)現在地に移転した
尚境内にある石の常夜灯には嘉永五年子歳冬(一八五二年)の銘があり又昭和四年建立の石の鳥居に発起人として五名(荒木、前田、西田、山本、佐竹)の名前があるがこれは当初移住してきた住民の子孫である
祭礼としては十一月にお火焚祭を行っている
このお稲荷さんには昔この地区の氏神さんであった八坂神社の御祭神の牛頭天王と火の神様の愛宕神社の祭神を併せて祭っています
(説明書きより)
正面 鳥居がいくつも並ぶ
本殿
境内摂社
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