ちょうほうじ(ろっかくどう)|天台系単立|紫雲山
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頂法寺(六角堂)の御由緒・歴史
ご本尊 | 如意輪観音像 | |
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創建時代 | 用明天皇二年(587) | |
開山・開基 | 聖徳太子 | |
ご由緒 | 淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子は、用明天皇2年(587)、四天王寺建立の材木を求め、京都盆地を訪れました。太子が池で身を清めるにあたり、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したといわれます。
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歴史 | 歴史[編集] 頂法寺の創建縁起は醍醐寺本『諸寺縁起集』、『伊呂波字類抄』に見え、寺所蔵の『六角堂頂法寺縁起』や近世刊行の『洛陽六角堂略縁起』などにも見える。これらの縁起が伝える創建伝承は大略以下のとおりである。[1] 敏達天皇の時代、淡路国岩屋浦に閻浮檀金(えんぶだんごん、黄金の意)の如意輪観音像が漂着した。この像は、聖徳太子が前世に唐土にあって仏道修行していた時に信仰していた像であり、太子はこの観音像を念持仏とした。これが後の頂法寺本尊である。太子は16歳のとき、排仏派の物部守屋討伐にあたって、護持仏に「無事討伐できたならば、仏の功徳に感謝して四天王寺を建立いたします」と戦勝祈願した...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「頂法寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%A0%82%E6%B3%95%E5%AF%BA&oldid=102386899 |
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