ちょうほうじ(ろっかくどう)
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楽しみ方頂法寺(六角堂)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月22日(金) 11時17分59秒
参拝:2024年11月吉日
聖徳太子創建の寺
聖徳太子は、用明天皇2年(587)、四天王寺建立の材木を求め、京都盆地を訪れました。太子が池で身を清めるにあたり、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置。
正式な寺号は頂法寺。
本尊如意輪観音像が人々の信仰を集め、西国三十三所観音巡礼の札所となりました。親鸞が参籠したことでも知られます。
御堂の形から「六角堂」「六角さん」と呼ばれ、親しまれています。門前を東西に走る道も六角通りといいます。
六角堂の北側に、聖徳太子が身を清めたと伝えられる池の跡があります。この池のほとりに、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊があり、「池坊」と呼ばれるように。代々六角堂の住職を務める池坊は、仏前に花を供える中でさまざまな工夫を加え、室町時代の「いけばな」成立に至ります。東福寺の禅僧の日記『碧山日録』には、寛正3年(1462)に池坊専慶が花を挿し、京都の人々の間で評判になったことが記されています。
聖徳太子が仏に供えた花は“和の精神”を基とする華道へと発展し、日本を代表する文化の一つとなりました。
その前に参拝した随心院には如意輪観世音菩薩坐像を見たくて参拝、そのあと所要の近くにあり参拝した六角堂の本尊も如意輪観世音菩薩様、なにかご縁を感じました。
聖徳太子は、用明天皇2年(587)、四天王寺建立の材木を求め、京都盆地を訪れました。太子が池で身を清めるにあたり、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置。
正式な寺号は頂法寺。
本尊如意輪観音像が人々の信仰を集め、西国三十三所観音巡礼の札所となりました。親鸞が参籠したことでも知られます。
御堂の形から「六角堂」「六角さん」と呼ばれ、親しまれています。門前を東西に走る道も六角通りといいます。
六角堂の北側に、聖徳太子が身を清めたと伝えられる池の跡があります。この池のほとりに、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊があり、「池坊」と呼ばれるように。代々六角堂の住職を務める池坊は、仏前に花を供える中でさまざまな工夫を加え、室町時代の「いけばな」成立に至ります。東福寺の禅僧の日記『碧山日録』には、寛正3年(1462)に池坊専慶が花を挿し、京都の人々の間で評判になったことが記されています。
聖徳太子が仏に供えた花は“和の精神”を基とする華道へと発展し、日本を代表する文化の一つとなりました。
その前に参拝した随心院には如意輪観世音菩薩坐像を見たくて参拝、そのあと所要の近くにあり参拝した六角堂の本尊も如意輪観世音菩薩様、なにかご縁を感じました。
すてき
投稿者のプロフィール

金兎562投稿
娘が始めたのをきっかけに私も2023年からはじめました。 京都に帰郷した際に天龍寺で手書きの御朱印をいただき、とても感動したのがきっかけです。 京都には沢山の神社仏閣があり生活の中で触れあってき...もっと読む
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