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たかまつしんめいじんじゃ

高松神明神社の御由緒・歴史
京都府 烏丸御池駅

ご祭神御祭神は天照大御神・八幡大神・春日大神
創建時代920年(延喜20年)
創始者源高明
ご由緒

 延喜14年(914)醍醐天皇十番目の皇子として高明親王がお生まれになり、延喜20年(920)七歳の時、源の姓を賜り、左京の三条三坊に邸宅として「高松殿」を御造営。同時に伊勢から天照大神を御勧請になり、鎮守の杜としてお祀りになったお社が高松神明神社の初めです。
 高明公末娘明子が藤原道長と結婚されて、お住まいになっていました。明子と道長の娘の寛子は小一条院敦明親王(三条天皇第一皇子)の室となって高松殿を住まいにされました。その後は藤原一族の方々が住んでおられました。
 保元の乱で後白河天皇方の本拠地となり、天皇方が勝利すると、後白河天皇は二条天皇に譲位し、高松殿を「院御所」としますが、平治の乱で院御所は焼失。残った内侍所を「高松神明社」の社殿としました。
 応仁の乱で当神社の社殿・社務所をはじめ、綸旨院宣の類、諸名将の願文に至るまでがことごとく焼失しました。
 永禄8年(1565)宥玉法印が社僧となり、「神明宮宝性院」と号し、真言宗東寺宝菩提院に属することになりました。
 その後、豊臣秀吉の都市計画や火災などにより境内や社殿も甚だしく縮小せられ、往古の面影も失われてしまいました。
 明治6年(1873)、神仏分離により村社「高松神明神社」となりました。

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