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せきぜんいん/しゃくぜんいん|本山修験宗

積善院の御由緒・歴史
京都府 神宮丸太町駅

ご本尊准提観世音菩薩
旧積善院本尊の不動明王の二躰を合祠
ご由緒

積善院は聖護院の塔頭寺院です。鎌倉時代初期の開創と伝えられ、聖護院門跡が支配する 本山派山伏の統括事務を、門跡の代行として実施した院家で栴(なぎ)ノ坊とも号してい ました。現在の熊野神社前交差点南東角に在った準提堂と明治初年に合併して、大正3年 にその建物を積善院境内へ移転しました。

今は元の準提堂を本堂とし、ここに現在の本尊準提観音像と積善院の本尊だった不動明王 像を合祀しています。本堂の西側に建つのは元の積善院本堂で、役の行者像と阿弥陀如来 像などを祀っています。

境内の西北隅には、聖護院の森の西北(現京大病院)に在った石像の崇徳院地蔵を移して います。平安末期のこと崇徳上皇が保元の乱に敗れて讃岐国に流され憤死しました。その 後15年程の間に京の都では大火、疫病流行、大地震などの災厄が続きましたが、世間で はこれらが崇徳上皇の怨霊の祟りであるとされ、上皇の霊を慰めるために庶民達が造立し たのが崇徳院地蔵だと言われています。恐ろしい想い出から、誰言うとなく「すとくいん 」が「ひとくい」と訛り、「人食い地蔵」の名で呼ばれるようになりました。

崇徳院地蔵堂の斜め前には、昭和27年に豊竹山城少椽らの発起によって建てられた「お 俊伝兵衛恋情塚」があります。

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